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18歳なのに“プロ野球で敵なし”状態…松坂大輔の全盛期はいつだったのか? 21歳の沢村賞に反対の声も…「あの日、選考委員が語っていたこと」
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph byJIJI PRESS
posted2023/09/24 11:02
1999年12月、プロ1年目を終えた契約更改時の松坂大輔
防御率は、松坂2.13に対して山本1.39と山本が大きくリード。WHIPも松坂の0.92に対して山本は0.85と、山本の圧勝。これらの結果から、山本の王座防衛とする。
沢村栄治を連想した「あの姿」
現役時代、鮮烈な印象を残した松坂だが、沢村賞の受賞は、プロ3年目2001年の1度だけ。しかも、この年の成績は15勝15敗の勝率5割、防御率3.60、WHIP1.25と、“文句なしの成績”ではなかった。選考委員会でも反対意見が出たが、当時の藤田元司選考委員長が「松坂の150キロを超える豪速球は沢村(栄治)さんを彷彿とさせる。将来の松坂に対する期待を含めて選んだ」とコメントしたとされる。
事実、沢村栄治を実際に見たことのあるオールドファンの中から、高校時代の松坂を見て「雰囲気が沢村に似ている」と聞いた覚えがある。筆者自身、沢村栄治を調べる過程で「マウンドに立つ姿が誰よりも美しかった」という表現を何度も見ており、松坂から沢村を連想したことがある。とくに、1998年の夏の甲子園の準決勝・明徳義塾戦で4対6とリードされた試合の9回表、全国の野球ファンに感動を与えたあのマウンド姿に……。
沢村の全盛期は17歳から20歳までの4年弱。松坂も夏の甲子園優勝が17歳、沢村賞を受賞したのは20歳のシーズンだった。
沢村が戦死せずに戦後のプロ野球でプレーしたら。もしメジャーに行っていたら。沢村が戦死して55年後にプロ入りした松坂は、そんな想像を掻き立ててくれる存在でもあった。