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「じつは暗黒時代も数十人飛び込んでいた」なぜ阪神ファンは道頓堀ダイブする? “異常だった”20年前5300人飛び込みでトラブル、逮捕者&死者まで
posted2023/09/23 11:04
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph by
Masashi Soiri
阪神タイガースが、2005年以来18年ぶりのアレを達成した。いつまでアレアレ言っているんだと、端から見れば滑稽に思われるかもしれない。だいたい、シーズン前から優勝優勝と騒いでいたじゃないか、と。
しかし、18年も優勝できず、その前の2003年も18年ぶり、1985年も21年ぶりと、ろくに優勝と縁がなかったのだから、多少のトラウマも許してもらいたいと思う次第である。
ところで、阪神タイガースのアレといえば、今回も注目されたのが道頓堀だ。元阪神の鳥谷敬さんが大阪府警南署の一日警察署長を務め、「アレしても飛び込まないで」とコメントしたくらい、道頓堀ダイブへの警戒感が強かった。
そして9月14日、優勝の夜。大阪府警は1300人の態勢で警戒。結果として、道頓堀川に26人が飛び込んだという。
いつの間にやら、阪神のアレ(というか優勝)と道頓堀ダイブはセットで語られるようになった。何しろ、2003年の18年ぶりのリーグ優勝では約5300人が戎橋から道頓堀川に飛び込んだ。興奮のあまり全裸になってはしゃぎまわり、警察に逮捕された人までいたという。「優勝で喜ぶのはいいけどさ、限度があるよね」の“限度”を超えた例として、道頓堀ダイブが取り沙汰されるようになってしまったのである。
いつから阪神ファンは道頓堀川に飛び込むようになった?
いったい、いつから阪神ファンは道頓堀川に飛び込むようになったのだろうか。
……と調べてみると、新聞などで報じられるようになったのは“バース・掛布・岡田”の1985年。
その前の優勝は東京オリンピックも開かれた1964年まで遡る。だから記録が残っていないのか、その時代には飛び込みをする人がいなかったのか、よくわからない。
そもそも道頓堀川やそれに架かる戎橋は、阪神ファンのためのものではない(阪神甲子園球場は兵庫県の西宮市で、大阪ではないですしね)。戎橋を間に挟んで、北には心斎橋筋、南側には戎橋筋のアーケード商店街が延びる。ひと筋西には大阪市内の大動脈・御堂筋。川の北側には宗右衛門町の歓楽街があって、南側にはかに道楽やふぐのづぼらや、くいだおれ、千日前商店街も延び、その先はなんばへと続く。橋のたもとにはグリコのサインが煌めく……道頓堀と戎橋はそういう大阪を象徴するような場所だ。
戎橋は江戸時代からあった【貴重写真】
歴史を見ても、戎橋周辺が大阪・ミナミの中心として発展したのはかなり昔のことである。