甲子園の風BACK NUMBER
“髪型自由”慶応との縁も…70年以上前に「非・丸刈り」で甲子園を制したチームの知られざる物語「野球技術と髪の長さは関係ありません」
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/23 06:02
「非・丸刈り対決」となった準決勝で土浦日大に勝利し、思い思いのヘアスタイルで校歌を斉唱する慶応の選手たち
その直後に横浜高校の練習を取材に行ったら、松坂さんはタオルで頬かむりしてマウンテンバイクを漕いでいた。「スース―するっす」と唇を尖らせていた表情を鮮明に記憶している。
渡辺監督は「試行錯誤の時代だった」と振り返る。「時代の変化に応じて、緩めるところと変えないところの線をどこで引くか。私自身が悩んでいた」と吐露する。
日本の野球界が変わろうとしていた時期でもあった。
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1993年にサッカーのJリーグが開幕し、自由で明るい雰囲気のスポーツとして新風を巻き起こしていた。野球、とくに高校野球は古くて堅い伝統や文化に引きずられている“昭和のスポーツ”という見方をする人も少なくなかった。
漫画「スラムダンク」の大ヒットもあって、バスケットボール部も部員数を増やしていた。
このままでは野球をやる子どもたちが減ってしまうのではないか。野球界は危機感を抱いていた。
このピンチは、野茂英雄投手の大リーグデビュー(1995年)や松坂世代の高校野球人気(1998年)などによって脱することができたと言われている。
そのせいでもないだろうが、高校野球では次第に「丸刈り派」が復権していく。2013年には全体の8割と、以前よりも増えてしまった。
1949年、監督の“丸刈り指令”に反発した湘南の選手たち
高校野球はどうして丸刈りスタイルになったのか。明確な理由は定かではないが、1915年(大正4年)に産声をあげた第1回全国中等学校優勝野球大会(大阪・豊中グラウンド)の開幕試合の写真を見ると、整列して脱帽する鳥取中(現・鳥取西高)、広島中(現・広島国泰寺高)の両選手とも頭髪は短いようだ。
ただ、そんな丸刈りスタイルを受け入れなかった球児もいた。
1949年(昭和24年)の第31回大会で初出場優勝を果たした湘南(神奈川)だ。のちに第5代日本高校野球連盟会長を務める脇村春夫さんが2年生三塁手、「プロ野球ニュース」のキャスターを長く務めた佐々木信也さんが1年生左翼手として出場していたチームだ。
ぼくは朝日新聞の記者として、当時のメンバーに取材したことがある。
3年生部員だった一塁手の岡本英二さんと二塁手の古家了さんは頭髪を伸ばしていた。ところが、甲子園への出場を決めると、佐々木久男監督から「出発までに短く刈ってきなさい」と厳命された。
彼らは「野球技術と髪の毛の長さは関係ありません」と、頑として譲らなかったという。