甲子園の風BACK NUMBER
「不足だらけのチーム」でも“大阪桐蔭キラー”金光大阪に躍進の予感 光ったエース左腕・キャリー・パトリック波也斗の成長
posted2023/07/20 06:00
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
Hideki Sugiyama
今春の大阪府大会決勝のことだった。
2-1と金光大阪の1点リードで迎えた9回表の大阪桐蔭の攻撃。二死走者なしから9番・平嶋桂知を空振り三振に仕留めると、最後までマウンドを守ったエース左腕のキャリー・パトリック波也斗(3年)が、胸元でグッと拳を握った。
5回、9回以外は常に走者を背負い、9安打されながら強力打線を1失点に留めた。控え部員の大声援が響くスタンドをバックに、背番号1は静かに喜びを噛みしめているようだった。
「初回の2点が大きかったですね。“よーいドン”という形でこちらが先に点を取れた。桐蔭さんが複数点を追いかける展開は、今まであまりなかったと思うんです。ランナーが出ても6回に小川(大地)君のライト前(適時打)で点を取られるまでは(大阪桐蔭が)ホームを踏めなくて、キャリーが何とか踏ん張ってくれた。
桐蔭さんからしたら、『あれ? おかしいな』という感じだったでしょう。それに6回はよく1点で凌げました。あそこで2点を取られていたら、後半は持ちこたえられなかったと思います」
22歳からチームを率いる金光大阪の横井一裕監督(48)は、しみじみと“激戦”を回顧する。
大阪桐蔭との名勝負で一躍、全国区に
横井監督は金光大阪OB。現役当時は、PL学園、近大附属、上宮といった全国でも名をはせた強豪校に囲まれながら甲子園を目指した。大体大を卒業後、すぐに母校に戻るといきなり監督に就任。以降、20年以上激戦地・大阪の戦場に立ち続けてきた。
金光大阪の名が全国的に広がったのは、07年夏の大阪大会決勝で中田翔(現巨人)を擁する大阪桐蔭を4-3で破り、甲子園出場を決めた一戦からだ。以降、18年夏の北大阪大会でも現中日の根尾昂ら有力選手が多く所属し、のちに甲子園で春夏連覇を果たす大阪桐蔭“最強世代”と準々決勝で1-2と接戦を演じると、翌19年夏は準々決勝で延長14回タイブレークの末に、同校を4-3で下している。
その戦いぶりから、金光大阪を“大阪桐蔭キラー”と呼ぶ者もいる。
「でもね、それ以外に対戦した時は、だいたいウチが大差で負けているんですよ」
そう横井監督は自嘲気味に笑う。ただ、この春は違った。
桐蔭は絶対的なエースの前田悠伍(3年)が不在で、ケガ人も多くベストメンバーを組めていなかった。とはいえ、1点差で宿敵に勝ち切ったことは事実だ。