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清楚に戦う女流棋士の日常は「サッカー好きドジっ子」? 渡辺明名人vs藤井聡太竜王の“聞き手ウラ話”も…観る将マンガ家が渡部愛さんに直撃 

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千田純生

千田純生JUNSEI CHIDA

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photograph byJunsei Chida/Yuki Suenaga

posted2023/05/21 11:01

清楚に戦う女流棋士の日常は「サッカー好きドジっ子」? 渡辺明名人vs藤井聡太竜王の“聞き手ウラ話”も…観る将マンガ家が渡部愛さんに直撃<Number Web> photograph by Junsei Chida/Yuki Suenaga

女流棋士の日常ってどんな感じ? 渡部愛女流三段のエピソードを千田純生先生がマンガにしてくれました

「将棋に興味を持ち始めたのは小学校2年生の頃でしたね。私は北海道の帯広市出身なのですが、冬はとても寒くなる時期があり、屋内で遊ぶ機会が多かったんです。そこで担任の先生とクラスメートが対局をしていたのがきっかけでした。それで、将棋を指すことができる父から、まずは駒の動かし方を学んでいきました」

 将棋を指す楽しさを知った少女時代の渡部さんは、毎日のように盤面に向かい、1年半弱でお父様に勝つようになり(すごい)、将棋教室に通うようになったそう。そして小4で北海道女流アマ王位戦「一般戦の部」で優勝……って、大人相手に勝利を積み重ねていったのか! やっぱり女流棋士も、とてつもない才能を持つ人じゃないか。とはいえ首都圏や関西地方と違って、北海道はとても広大な土地。棋士との接点ってあったものなんでしょうか?

「将棋教室では日本将棋連盟十勝支部の方から指導を受けたり、年1回は棋士の方から指導対局していただく機会があったんです。〈うわあ、こんな風に指していくのか〉と子供心に感動した記憶は今も残っていますね」

 なるほど、こういう話を聞くと普及活動の大切さを実感する……。

中井広恵女流六段との出会いが大きかった

 着々と実力を育んでいった渡部さんですが、女流棋士を目指そうとした原点はどこにあったんだろう? それについて聞くと2007年夏、14歳の出来事でした。

「帯広に中井広恵女流六段が指導対局に来てくださって、それが本当に大きな転機でしたし、中井先生のようになりたいと心から思いましたね」

 中井女流六段は10代だった1980年代の頃から女流棋界で活躍し、タイトル合計19期は現在も歴代3位、NHK杯でも男性棋士に勝利を積み重ねた経験を持ちます。そんなレジェンドから直々に指導を受ければ、身近な存在として将来の目標を立てやすいよな……と思っていたところ、妻氏が超がつくほど感動の眼差しを渡部さんに向けていました。

「そうか! 渡部さん、以前のABEMA女流トーナメントで中井さんをドラフト指名していましたよね。それほどまでに深い縁なんですね。ストーリーとして美しい……」

 これに対して渡部さんは「そうなんです! その縁から月に1回程度は東京に通って、中井先生の下で将棋を学ぶ機会を得られました。寝食など生活スペースも確保していただくなど、よくしていただいたんです」と語っていました。今に比べれば、スマホやPCなどリモートで気軽にネット対戦などができない時代だろうから……北海道出身の渡部さんにとってはかけがえのない存在だったんだなと。

「ちなみに東京に通いやすいという理由で、高校は札幌にある北海高校に進学しました。母と一緒に札幌へと出てきたので、父が“逆・単身赴任”みたいな形になっていましたね(笑)」

女流王位になるまでの経緯も“マンガみたい”

 中井先生のような女流棋士になりたい! そんな一心で努力を続けた結果、女流棋士となりました。その後プロ入りした後は、新人王戦で三枚堂達也四段(当時)に勝利したり、女流の一般棋戦で優勝するなどしました。ただ――ご自身のインタビュー記事に詳しく書かれていますが――棋士としての将来に懸念を感じていたところで、同じ北海道出身である野月浩貴八段のコーチングを受けたことが、さらなる飛躍のきっかけに。

【次ページ】 イラストで見る“女流棋士の日常”

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