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中日・平田良介はなぜ、レガースも肘当てもつけず打席に立っていたのか 引退決断した多才な打者が「最後のプロ野球選手」であった2つのこと 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/01/11 11:02

中日・平田良介はなぜ、レガースも肘当てもつけず打席に立っていたのか 引退決断した多才な打者が「最後のプロ野球選手」であった2つのこと<Number Web> photograph by JIJI PRESS

ユニフォームを脱ぐ平田。細部にわたるこだわりを持った野球人だった

 プロでは17年間で通算1046安打、105本塁打。2011年にはプロ野球史上8人目となる2試合連続サヨナラ本塁打を放ち、2018年にはゴールデングラブ賞を獲得するなど攻守に存在感を発揮したが、最もファンの記憶に刻まれているのは通算記録には加算されない一打かもしれない。2007年11月1日。日本ハムとの日本シリーズ第5戦で、ダルビッシュ有から犠飛を打った。虎の子の1点を山井大介、岩瀬仁紀のパーフェクトリレーで守り切り、53年ぶりの日本一を勝ち取ったのだ。当時は2年目でまだ19歳。故障で不在だった福留孝介の穴を埋め、球団のヒストリーに大きな1ページを書き加えた。

「あのしなりが、僕にはどうしても必要だった」

 将棋好きとしても有名で、2020、21年と「球王」に輝いた腕前。多芸多才な平田は、実は打者としてのいでたちに強いこだわりを持っていた。現在、バットの素材はバーチ(樺)、メイプル(楓)が主流で、ホワイトアッシュ、ヒッコリーなども使用されている。しかし、一昔前までは日本国内ではアオダモが多数派だった。選手が好む独特の「しなり」があり、ボールを乗せて運ぶ感覚を満たしてくれるからだ。だが、北海道など寒冷地に限られること、バット作りに適する大きさに育つまで、70年もかかるなど、林業としてはあまりにも採算性が悪いため、林業家が次々に撤退。メーカー側から供給することができなくなっていた。大谷翔平も渡米後に変更。恐らくは日本プロ野球で最後のアオダモユーザーが平田だった。

「僕も一時は他の素材に変えていたんですが、たまたまメーカーさんから『原木が見つかったけど、どうする』って連絡が来たんです。すぐに作ってもらいました。あのしなりが、僕にはどうしても必要だったので」

 愛知県内のバット工場に、東北産のアオダモの原木がある。その情報を伝え聞いた平田は、一も二もなく飛びついた。練習を含め、他の選手より格段にバットを折らない平田は貴重なアオダモバットを最後まで使い続けた。特徴的なニンジンカラーには、ファンには見えない物語があったのだ。

【次ページ】 平田だけが抗った時代の流れ

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