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「ファンの人が家の中にいたこともあって…」“元祖アイドルジョッキー”小田部雪46歳が振り返る全盛期「先輩騎手からは『実力が伴っていない』と」
text by
大恵陽子Yoko Oe
photograph byTakuya Sugiyama/JIJI PRESS
posted2022/10/30 17:03
90年代に地方競馬の女性ジョッキーとして注目を集めた小田部さん。全国放送にも出演したが、その影響は思わぬものがあったという…
「僕が出所するまで騎手を続けてほしい」という手紙も
――全国放送の番組にも出演して、知名度が上がるにつれてファンも押し寄せたんじゃないですか?
小田部 レースが終わって帰宅すると、なぜかファンの人たちが家にいたことがありました。父がサービス精神旺盛で、「上がれ、上がれ」と招き入れたみたいです(笑)。
――まさかの自宅招待。娘の活躍がよっぽど嬉しかったんでしょうね。
小田部 昭和の人なので感情をあまり表には出さなかったですけど、「たぶん嬉しいんだろうな」とは感じていました。その時に実家の居間でファンの人たちと犬を抱っこした私で撮った写真が今でもありますよ。9月4日に熊本県の「BAOO荒尾」(地方競馬共同場外発売所)で予想会をした時、そのうちの1人が来ていて、「あ! 家に上がった人だ」とすぐに分かりました。当時から変わっていなかったです。
ほかにも、重賞を勝った時にバラの花束をプレゼントしてくれたファンや、交通刑務所から「僕が出所するまで騎手を続けてほしいです」とファンレターをくださった方、「付き合ってください」と手紙を送ってきた人など、いろんな方がいました。
引退の真相
――人気・実力ともに兼ね備えてきた2001年3月、中津競馬場は突然の廃止を迎えました。その後、熊本県の荒尾競馬場に移籍しましたが、翌年1月にひっそりと引退。何があったんでしょうか。
小田部 厩務員も騎手も中津競馬で働く人たちにいきなり廃止と言い渡されて、私は金沢へ移籍する話もあったんですが、父が騎手時代に何回か落馬して救急車で運ばれていたので、母が「近くがいい」ということで、荒尾に移籍することになりました。元々、荒尾では「この馬にこの騎手が乗る」というのがある程度決まっているところに私たち中津組が加わった形になります。しかもその中には中津のトップジョッキーもいたので、私はレースにほとんど乗れませんでした。深夜3時半から真夏でもお昼12時くらいまで、その間ご飯を食べずに調教に乗り続ける日々でした。レースの日になっても、1日に1~2レースしか乗れなくて、「何のために来たんだろう」と思いはじめました。騎手としての矜持を持ってきましたけど、レースに乗れないと中津とは違うコースの形やペース配分に対応できない、そして勝てないというループでした。それでも取材依頼は来ていましたけど、中津の時ほど騎乗数がなかったので受けたくなくて、葛藤していました。結局、精神的にもたなくて「もう乗りたくないです」と引退しました。
〈#3へ続く〉