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長谷部の充血した瞳、ビッグマウス本田の横顔、聖地ブラジルで日本代表の「魔法がとけた日」
posted2022/11/07 11:00
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph by
Atsushi Kondo
2014年6月12日の午後、アレーナ・サンパウロのピッチ中央に設置されたサッカーボール型の特設舞台上では、ピットブル、ジェニファー・ロペス、そしてクラウディア・レイチの三人が大会のテーマソング「we are one」を歌い、満員のスタンドを盛り上げていた。
僕はピッチサイドでシャッターを押しながら、隣に座ったモロッコ人のカメラマンに、四年前のテーマソングの方が良かったね、と話しかけた。彼はイエスともノーとも答えず、ただ曖昧に微笑んだが、たぶん2010年南アフリカ大会でシャキーラが歌った「WakaWaka」のことはなにも知らないようだった。
44歳のジェニファー・ロペスが、とても44歳とは思えないキレッキレのダンスを見せてオープニングセレモニーは無事終了し、およそ1時間後の午後5時、日本人として初めてW杯開幕戦をさばくこととなった西村雄一が、ブラジル対クロアチアのキックオフを告げる笛を吹いた。
W杯から失われたもの
僕にはこれで4度目のW杯だった。メキシコ、イタリア、日韓、そしてブラジル。でも実を言うと、2002年のW杯がおわったとき、もうW杯を現地まで撮りに行くことはないだろうな、と思っていた。サッカーそのものに興味を失ったわけではない。ただ、この四年に一度のサッカーの祭典は、かつて自分が憧れていたそれとはいつのまにかなにかがちがってきていた。
たぶん1994年のアメリカ大会、そして次のフランス大会あたりからだと思う。FIFAはW杯というサッカーのお祭りにおけるビジネスの側面をより強化し始めた。参加国を増やし、観客を増やし、一つの国の試合会場を一都市に固定しない。それによってさらなる人の移動を促し、観客はスタジアムの中でも外でも大量に消費してゆく。かつては一般大衆のものだったはずのW杯が、一般大衆にとってはちょっとばかり高すぎるものになった。近所の神社の縁日で、毎年参道で買うたまごカステラの値段がいつの間にか一皿300円から600円になっていた、みたいなかんじだ。