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アントニオ猪木と“金曜8時”をめぐる視聴率戦争…追放がなければ『太陽にほえろ!』は誕生しなかった? 終止符を打ったのは“たけし城”
posted2022/10/07 17:05
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
Moritsuna Kimura/AFLO
昭和を代表する刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ)の名物といえば若手刑事の殉職シーンだ。その殉職回が放送されたのはマカロニ刑事=萩原健一(1973年7月13日)、ジーパン刑事=松田優作(74年8月30日)、テキサス刑事=勝野洋(76年9月3日)、ボン刑事=宮内淳(79年7月13日)、ロッキー刑事=木之元亮(82年8月20日)、ラガー刑事=渡辺徹(85年8月2日)と7~9月初旬に集中していることがわかる。
テレビ業界の常識からすると、番組改変期にあたる4月や10月に新人刑事を投入するにあたり、注目を集める殉職シーンは3月末か9月末に放送するのが最適なはず。一体どうしてなのか? 突き詰めていくと、アントニオ猪木のせい(おかげ?)なのである。
馬場がNETテレビに、激怒した日テレは…
時系列で説明していくと、71年末に猪木がクーデター未遂の罪で日本プロレスを追放された。猪木をエースとしていたNETテレビ(現・テレビ朝日)のプロレス中継は看板スターを失い、なし崩し的にNET中継に登場していた坂口征二(69年7月の番組開始当初は日本テレビの中継のみに登場で、NET登場はNGとされていた)に続いて、日本プロレスの許可を取ったうえで、72年4月3日の放送からエース・ジャイアント馬場をNET中継にも登場させてしまったのである。
これに激怒した日本テレビは5月12日の放送(馬場vsゴリラ・モンスーン)をもって力道山時代から続くプロレス中継の打ち切りを決定。約2カ月間を「日本プロレス選手権特集」のタイトルで、力道山時代からの名勝負選の放送でつないだ。
その後、日本テレビは7月21日から伝統の金曜夜8時枠で、同じく三菱電機提供で『太陽にほえろ!』の放送をスタートさせた。もともとはプロレス界のゴタゴタをきっかけに代替番組として準備されたため、7月スタートという変則ぶり。ゆえに俳優さんとの年間契約も含め、この時期に殉職による降板が集中していたことになる。
猪木が71年末のタイミングで会社改革を訴えていなければ、さまざまな人間の運命が大きく変わっていたはずだった。