Sports Graphic Number SpecialBACK NUMBER
[馬場&鶴田を巡る同期対談]渕正信×大仁田厚「誠実なる王道プロレス」
posted2022/07/17 07:03
text by
小佐野景浩Kagehiro Osano
photograph by
Naoya Sanuki
「明るく、楽しく、激しいプロレス」を生み育てた団体の顔の死から早23年。異なる道を歩みながらも同じイズムを新弟子時代から共有する2人だけが知る巨星たちの素顔。
今年10月22日に旗揚げ50周年を迎える全日本プロレス。生え抜き第1号は1972年ミュンヘン五輪レスリング・グレコローマン100kg以上級代表からスカウトされたジャンボ鶴田だが、新弟子としては'73年10月に入門した大仁田厚が第1号、大仁田より早く'73年3月に入門しながら家庭の事情で一度断念し、'74年3月に再入門した渕正信が第2号ということになる。
叩き上げの2人にとってジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、そして全日本とは? 2人の対談は、まだ専用の道場も合宿所もなく、マンションの一室に住みながらキックボクシングの山田ジムで練習していた時代の思い出からスタートした。
大仁田 最初はジャンボ鶴田さんと渕さんと俺、俺たちがデビューした年('74年)の夏に入ってきた薗田(一治=ハル薗田)選手と目白の賃貸マンションで合宿所生活をしてましたよね。'76年7月に砧の道場兼合宿所が出来る前。
渕 練習はきつかったけど、それを覚悟して入門したからね。「きついのは当たり前!」っていう気持ちだった。
大仁田 スクワットは、最初は1日に1000回ぐらいなんだけど、最後には3000回ぐらいやらされたから。止まると1からやり直し(苦笑)。
渕 俺たちは朝10時にはジムに着いて掃除するんだけど、先輩たちは来るのが遅い。1時間ぐらい待たされて、それからポツポツと来るわけだ。だから終わるのが3時過ぎになっちゃって。