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伊達公子と杉山愛が振り返る“日本女子テニス界の黄金時代”「先に負けるわけにはいかない」「自分が負けるのは絶対に嫌」 

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内田暁

内田暁Akatsuki Uchida

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/07/02 17:00

伊達公子と杉山愛が振り返る“日本女子テニス界の黄金時代”「先に負けるわけにはいかない」「自分が負けるのは絶対に嫌」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

日本女子テニス界を象徴するレジェンド、伊達公子氏と杉山愛氏の特別対談が実現した

 グランドスラム・シングルス本戦の128名中、日本人が11人を占めたのが1995年全豪オープンのこと。伊達を筆頭にトップ50にも総勢で10名を超える選手たちが名を連ねた。それら、90年代に一大勢力を築いた一群の最年少に、杉山が居る。

 伊達の記憶に鮮明に残る“最も若い愛ちゃん像”は、ピンクの髪留めを揺らしながら、いつも「跳ねている」元気いっぱいな少女だった。

「愛ちゃんを初めて見たのは、私がプロになって少ししてからだったので……愛ちゃんがまだ中学生の頃かな? ピンクのリボンを着けている、可愛いのに強いお嬢さんというイメージでした」

 伊達は、出会った当時を懐かしそうに思い返した。一方の杉山は伊達のことを、「ダテック」と親しみを込めて呼ぶ。“ダテック”とは、テニスのドロー表等に表記された「Date.K」に端を発するニックネーム。90年代をともに戦った戦友たちの間では、広く定着している愛称だ。

「常に『私にも出来る!』って思わせてくれる存在だった」

「ダテックには、プロ転向パーティにも来ていただいたんです。ごはんもたくさんごちそうしてもらって(笑)。とにかくダテックはよく食べる! その食べる量に驚かされましたし、これくらい食べなくては強くなれないのかなと思っていました。

 あとは練習で醸し出す、あのピリピリ感! 誰にもない“ダテックの空間”があるんです。いやぁ……あの緊張感の中でやらなくちゃダメなんだというのは肌で感じましたしね。やっぱり目標とする方が近くで試合したり練習していたのは、本当に大きいですね」

 30年近く記憶の針を巻き戻し、つい先日のことのように語る杉山は、こうも続けた。

「私はダテックと同じくらいの背丈なので、図々しくも『ダテックに出来て私に出来ないはずはない』って思っていたんです。常に『私にも出来る!』って思わせてくれる存在が居たのは大きいですね」

 この杉山の言葉にこそ、あの黄金時代の真髄があるだろう。“切磋琢磨”はよく使われる言葉ではあるが、真理を浮き彫りにもする。

「それがみんなあったから、90年代にはトップ50やグランドスラムに10人くらい入れたというのは、ヒシヒシ感じるよね」

 そう述懐する伊達は、一つの象徴的な事象に言及した。

「忘れもしないのが、ローランギャロスの4回戦に、日本人が3人入った時のことですね」

【次ページ】 伊達公子と杉山愛が振り返る“黄金時代”

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伊達公子
杉山愛
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