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テニスPRESSBACK NUMBER
伊達公子と杉山愛が振り返る“日本女子テニス界の黄金時代”「先に負けるわけにはいかない」「自分が負けるのは絶対に嫌」
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/07/02 17:00
日本女子テニス界を象徴するレジェンド、伊達公子氏と杉山愛氏の特別対談が実現した
それは1995年、初夏のパリ。当時19歳の杉山は、初戦で第15シードのへレナ・スコバを接戦の末に破ると、自信をブースターに2回戦と3回戦で快勝。さらには長塚京子も4回戦へ。なお同大会の3回戦には、沢松奈生子も勝ち上がっていた。
並走する同胞の姿を視界にとらえ、遅れまいと疾走する一群。その存在は、先頭を走る伊達をも先へ先へと駆り立てた。
「クレー(赤土のコート)で色々きつかったんだけれど、二人(杉山と長塚)が勝ち上がってくるから、さっすがに先に負けるわけにはいかないなって(笑)。
あの頃の私はランキングがすでにトップ5にいたので、自分がベストではなくても相手がミスしていつの間にかセットを取ってる、みたいなこともよくありました。でも本当に常にメンタルが疲れていたので、『早く日本に帰りたい、時に勝ちたいのか勝ちたくないのかわからない』くらいの気持ちだったんだけれど、二人が全然負けてくれないから!(笑)」
伊達が宿すフロントランナーとしての自覚とプライドは、4回戦で第7シードのリンゼイ・ダベンポートを、準々決勝では12シードのイバ・マヨーリを破る原動力となる。気付けば、苦手意識を抱いていた全仏オープンで、ベスト4へと躍進。
その事実に、「ベスト4の陰に我々の活躍が!」と冗談めかして笑う杉山は、当時のグランドスラムや日本女子選手間の空気を、次のように回想した。
日本女子テニスの黄金期「そこで自分が負けるのは絶対に嫌」
「本当に良い雰囲気でした。更衣室に行けばたくさん日本人選手がいて、他の選手の結果も気になるし、そこで自分が負けるのは絶対に嫌という思いも強かった。ライバル視というよりも、本当に切磋琢磨。特に私は、そのなかではまだまだ年齢的にも下だったので、先輩方には可愛がって頂きました。(遠藤)愛ちゃんや(神尾)米(よね)さんにも一緒に練習してもらったし、ツアーで引っ張ってくれる先輩がいたのは何より心強かった。
あの当時、とにかく私は楽しかったんですよね、華やかで。そこを引っ張っていく伊達さんは、全部のプレッシャーを一身に背負っていたので、それはそれは苦しそうだなと思っていました。ただそういう姿も、私にとっては勉強になる。ダテックのメディア対応だったり、ツアーでの過ごし方も間近で見て感じて、性格も違うなかで、『私だったらこうしてみよう』とトライしてみたり……。そういう意味でもやっぱりたくさんお手本にさせて頂いていました」
華やぐ表舞台の裏にあった“後続が育っていない事実”
伊達公子というカリスマにけん引されるように、多くの選手が世界の頂点を、本気で目指していた時代。ただ、華やぐ表舞台の光の陰で、後続が育っていない事実は、あるいは見逃されていたかもしれない。
2009年に杉山が引退すると、その現実は白日の下にさらされる。2009年シーズンが終わった時、トップ100に居たのは当時19歳の森田あゆみ。そして、前年に現役復帰した39歳の伊達だった。