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「好きで始めたバレーボールが」“高2夏に代表デビュー”の逸材が選んだ意外な進路…アメリカ帰りの宮部藍梨(23)が7年ぶりの代表復帰
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byJamie Schwaberow/NCAA Photos via Getty Images
posted2022/06/10 17:00
名将マッカーチョン監督率いる強豪ミネソタ大でプレーする宮部藍梨(2019年)
例えばサーブの場合、以前はトスを両手で上げていたが、左手1本で上げるよう指導された。サーブを打つ右手を、トスを上げてから後ろに引くという動作を減らすためだ。どのプレーもできるだけシンプルに、効率的にすることを求められた。
「例えば5個ステップがある動きを100回繰り返すのと、2個のステップの動きを100回繰り返すのとでは、失敗の確率は2個のステップのほうが少ない。できるだけすべての動きをシンプルにして、間違った動作を減らす、というロジックだと思います。でもずっとやってきた動きを変えるのは本当に難しくて。『なんでこんなに下手くそなんやろ』って何回も思いました(苦笑)」
苦心しながらも、大学院も含めた計3年間で、マッカーチョン直伝のフォームを習得した。
日本では長身選手の宮部も、ミネソタ大では下から2番目の身長だった。対峙するブロックも自分より高いのが当たり前。「日本ではブロックの上から打てたり、気持ちよくスパイクを決められることがあったけど、アメリカでは気持ちよくパーンと決められることは少ない。高いブロックに対してどう戦うかを考えてずっとやってきて、そこは成長できたところだと思います」と胸を張る。
卒論テーマは「オリンピックの経済効果」
毎日ハイレベルなバレーに触れながら、勉学も充実させた。ミネソタ大ではアジア・中東学科で日本について外から学び、日本の学校では教わることのなかった視点を身につけた。大学院ではスポーツマネジメントを専攻し、リーグや大会の運営について研究。大学院の卒業論文のテーマは「オリンピックの経済効果」。アスリートにとって憧れの舞台であるオリンピックを、経済の面からシビアに見つめた。アスリートとしての視点だけでなく、マネジメントの知識も備えた選手が、どんなキャリアを重ねていくのか興味深い。
ただ、ずっと順風満帆だったわけではない。名門リーグに属するミネソタ大に編入後は、控えに甘んじていた。
「去年の秋ぐらいに一瞬、就活しました。プロに行きたくても、試合に出ていないから、(売り込むために)出すビデオもない。無理や、と思った」
だがレギュラー選手の怪我によって巡ってきたチャンスをものにし、昨年12月に行われた全米大学選手権では主力としてべスト8進出に貢献。
「最後に試合に出て、出せるビデオもできた。チャンスがあるならやってみたい」と、卒業後はプロ選手としてバレーを続けることを決めた。
それでも、日本代表に選ばれることはまったく予想していなかったという。