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「好きで始めたバレーボールが」“高2夏に代表デビュー”の逸材が選んだ意外な進路…アメリカ帰りの宮部藍梨(23)が7年ぶりの代表復帰
posted2022/06/10 17:00
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Jamie Schwaberow/NCAA Photos via Getty Images
宮部藍梨が帰ってきた。高校2年で日本代表デビューを果たして以来の代表復帰。
「7年ぶりなんで、『え?ほんまにここにおるん?』って感じです」と苦笑した。
5月にアメリカのミネソタ大学大学院を卒業して帰国し、すぐに代表合宿に合流。環境が目まぐるしく変化しすぎて、まだ実感がわかないと言う。
宮部の代表デビューは鮮烈だった。金蘭会高校2年の16歳だった2015年7月10日。ワールドグランプリのイタリア戦で、第1セットを奪われると、日本代表の眞鍋政義監督は第2セットのスタートから宮部をコートに送り込んだ。
宮部は高い打点からコートの奥を狙って次々にスパイクを決め、試合をフルセットに持ち込む原動力になった。
高校卒業後に渡米「Vリーグに行くことは考えなかった」
ナイジェリア出身の父と日本人の母を持ち、181cmの長身と最高到達点309cmの高い跳躍力を武器に、高校1年時に高校三冠(インターハイ、国体、春高バレー)に貢献し、高校2年で代表デビューと、輝かしい経歴を刻んでいた。高校卒業後はVリーグや代表で活躍する姿が容易に想像できた。
だが、高校で目覚ましい活躍を見せた女子選手の多くが卒業後はVリーグに進む中、宮部が選んだのは大学、しかもアメリカの大学への進学だった。
当時大学進学を選んだ理由を、宮部はこう明かす。
「もともと勉強が嫌いじゃなかったというのもあります。それに、やっぱり体って消耗品だから。35歳ぐらいで現役をやられている方ってすごく少ないと思うし、会社員のように定年までできる仕事ではない。怪我をするかもしれないし、どんなに好きでもいつかは選手を辞めないといけない時がくる。そうなった時に、自分からバレーを取ったら何もない、という状態になるのは理想的じゃないなと思ったんです。
保険じゃないですけど、勉強も大事だし、4、5年ぐらいなら焦ることもないかなと。人それぞれの考え方や選択があるので、どれがいいとかどれが間違っているということはまったくないと思うんですけど、私の中では、高校からすぐにVリーグに行くというのはもともと頭にありませんでした」
高校時代に腰のヘルニアに苦しんだ経験も、「バレー1本じゃ無理や」と考えるきっかけになったという。