F1ピットストップBACK NUMBER
《モナコ初制覇》不器用なナンバー2にして苦労人セルジオ・ペレス32歳が、国籍を超えて愛され祝福される理由とは?
posted2022/06/03 06:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images / Red Bull Content Pool
伝統の一戦、モナコGPでセルジオ・ペレス(レッドブル)が優勝を遂げた。自身初のモナコでの優勝は、メキシコ人ドライバーとしても初となる快挙だった。
モナコを訪れていた多くのメキシコ系ファンたちが母国のヒーローの勝利に酔いしれたのはもちろんだが、サーキットを訪れていた多くのファンが国籍とは関係なく、今回のペレスのモナコGP初制覇を祝福していたのが印象的だった。それは、ペレスのモナコGP初優勝までの道程が決して平坦ではなく、さまざまな困難を克服してたどり着いたことに多くの人たちが自らの人生を重ね合わせ、「不器用でも努力をしていれば、いつの日かそれが報われることがあるのだ」という事実に共感していたからではないだろうか。
困難の連続だったF1人生
世界中からドライビングの達人が集結するF1界にあって、ザウバーからデビューしたペレスは、ルーキーイヤーから華々しい活躍を披露する、いわゆる天才肌のドライバーではなかった。事実、デビューした11年のモナコGPでは予選で大クラッシュを起こし、ペレスは日曜日のレースをグレース王妃病院から見守った。
翌年ペレスは3度表彰台を獲得し、13年にマクラーレンへ移籍するが、不器用なペレスにはビッグチームへの移籍は少し早すぎたのかもしれない。首脳陣と反りが合わなくなったペレスは14年にフォース・インディアという小規模チームに移籍する。ここでの7年間の苦労が、ペレスをドライバーとしてだけでなく、人間としても大きく成長させた。
当時フォース・インディア(現在のアストンマーティン)でタイヤ関連のエンジニアを務めていた松崎淳は、早くからペレスのタイヤの使い方を学ぶ姿勢を買っていた。もともとペレスのタイヤマネージメント能力は、12年に巧みなピットストップ戦略で表彰台を獲得していたころから高く評価されていた。しかし、それにあぐらをかくことなく、貪欲に速さを追求するペレスの姿勢が印象的だと松崎は語っていた。