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《モナコ初制覇》不器用なナンバー2にして苦労人セルジオ・ペレス32歳が、国籍を超えて愛され祝福される理由とは?
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images / Red Bull Content Pool
posted2022/06/03 06:00
F1参戦12シーズン目にして、メキシコ人ドライバーとして初めてモナコを制したペレス
速いドライバーはF1界にいくらでもいるが、より速くなろうと努力するドライバーは意外と少ない。F1ドライバーというプライドが時にドライバーとしての成長の邪魔をする。そうやって、F1から去っていった天才たちは少なくない。しかし、ペレスは派手な成績を残すことはなかったが、着実に成長していき、気がつけばチームになくてはならない中堅ドライバーとなっていた。
ペレスがフォース・インディア時代に仲間から愛されていたのはドライバーとしてだけではない。人間としても愛されていた。チームが多額の負債を抱え、存亡の危機に直面したとき、ペレスはチームを解散の危機から救うために行動を起こした。ペレスには負債とともに沈みゆくチームを去る選択肢もあった。しかし、仲間を見捨てて、自分だけ生き延びることをペレスは良しとしなかった。
債権者のひとりであるペレスによって破産申請が行なわれたチームは、管財人の管理下で活動を継続させることとなる。その後、カナダのビジネスマン、ローレンス・ストロールが率いる投資家コンソーシアムがチームを買収。債権者への支払いはもちろん、405人の従業員の職はすべて維持され、チームはレーシングポイントと改称して再出発した。
ところが、チームはその2年後にペレスを解雇する。新しくオーナーとなったストロールがフェラーリを離脱することになっていた元王者のセバスチャン・ベッテルに接近し、契約が残っていたペレスを追い出す形で後任に据えたからだ。
レーシングポイントでの最後のレースとなった20年の最終戦アブダビGPでは、マシントラブルでリタイアしてピットに帰ってきたペレスをチームスタッフが涙で迎えていたものだった。
レッドブルが見抜いた存在価値
このとき、ペレスの翌年のシートはまだ確定していなかった。そんなペレスにチャンスを与えたのが、現在ペレスが所属しているレッドブルだった。レッドブルは独自にドライバー育成システムを持ち、その中から有能なドライバーを起用してきた。しかし、トップドライバーに成長したフェルスタッペンのチームメートを務めるのは簡単なことではなく、19年以降は頭を悩ませていた。