酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「ピッチャー根尾昂」に思い出す大阪桐蔭での輝き …大谷翔平は別として“野手で登板”はイチローや2000安打達成者も《巨人・増田大輝の時は賛否》
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2022/05/22 17:01
大差のついた試合での途中出場ながら「4番ピッチャー根尾」が現実のものとなった
日本野球界では「投手」と「打者」は、別の専門分野であり、軽々しくまねごとをしてはいけない、という認識の人が多いのだろう。
筆者は思う。そうであるならばDH制がないセ・リーグで、投手が打席に立って気のないスイングで凡退するのは、打者に対して失礼だという理屈になるのではないか。「打者がマウンドへ上がる」機会は、「投手が打席に立つ」機会よりもはるかに少ないから、そういう議論は起こらないが、釈然としないところではある。
“2000安打を打った選手で投手成績がある4人”とは
NPBではマウンドに上がった経験のある打者は少ない。2000本安打を打った54選手のうち、投手成績があるのは以下の4人。
石井琢朗(2432安打 11位)
1989~91年まで28試合に登板、1勝4敗49回、防御率5.69
川上哲治(2351安打 13位)
1938~41年まで39試合に登板、11勝9敗200回、防御率2.61
広瀬叔功(2157安打 24位)
1970年1試合 0勝0敗2回 防御率0.00
柴田勲(2018安打 50位)
1962年6試合 0勝2敗11回 防御率9.82
石井、川上、柴田の3人はもともと投手として入団し、一軍で一定期間投げたのちに打者に転向したもので「打者の登板」とはニュアンスが違う。
2000本安打者で、純然たる打者としてマウンドに上がったのは広瀬叔功だけだ。広瀬も投手として南海に入団したが、肘を痛めてすぐに野手に転向している。
広瀬をマウンドに上げたのは、野村監督だった
1970年10月14日、大阪球場での阪急戦、5回まで1-7と大差で負けていた南海は6回から1番中堅手の広瀬をマウンドに上げた。広瀬は2回10人の打者に対し2安打3四球を与えたものの、0点に抑えた。
驚くべきことに、広瀬をマウンドに上げる采配をしたのは、この年から南海のプレイングマネージャーになった野村克也だった。オールスターでのイチローのマウンドに異議を唱えたのは26年後のことだが、考え方が変わったのか? それともオールスターと公式戦では違うということか。
日本人の意識として「投手」と「打者」の間には深くて暗い川があるのかもしれないが、近年、ほかならぬ日本人の大谷翔平が、大股でその川を渡って大活躍しているのだ。
様々な目的、意図で、野手がマウンドに上がることに、日本野球は寛容になるべきではないか。
根尾昂が「野球センスの塊」であることは誰しもが認めるところだ。入団以来4年、その逸材が停滞している。チームに多少なりとも貢献できたうえに、彼にとって転機になる可能性があるのなら、マウンドに上がっても構わないはずだ。
投げてでも、打ってでも、走ってでもいいから、根尾昂の輝かしい活躍を見たい、筆者はそう思う。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。