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千代の富士相手には「首折れて死んでもいい」「もう強くて、ずっと強かった」 小錦、大乃国… 名力士は“大横綱”にどう挑んだか
posted2022/05/22 11:02
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
BUNGEISHUNJU
<名言1>
僕があたるようになった時はもう強くて、ずっと強かった。
(小錦八十吉/Number271号 1991年7月5日発売)
◇解説◇
千代の富士は両肩を脱臼しながらも屈強な肉体を手に入れ、幕内通算31回の優勝を飾り、生涯戦績では125場所1045勝437敗(159休)という圧倒的な数字を残した。昭和後期から平成初頭にかけてトップランナーとして走り続けた大横綱は、対戦相手の目からどのように映っていたのだろうか。
当時の角界で千代の富士とともに人気者だった力士と言えば小錦だ。サモア生まれの両親を持ち、ハワイで育った少年は、高見山の勧誘もあって1982年に入門。新弟子検査では体重計のメモリを振り切ってしまうという“伝説”も残したほどだ。
200kg超えの巨体を生かした取り口で初場所から12場所で新入幕を果たすと、続く84年9月場所では隆の里、千代の富士から立て続けに金星を奪うなど「ハワイの黒船」として猛威を振るった。
「最初は思いきってやるだけだった。それはずっと同じだった……とにかく前へつき放していけば、自分の相撲をとれればいいと思ってた。それもずっと同じ……」
千代の富士との戦い方について、小錦はこう振り返っている。
183cm、127kgの千代の富士とは100kgを優に超える体重差である。それでも小錦は土俵上で横綱の凄みを感じていた。千代の富士は当初こそ小錦を苦手にしていたものの、気付けば8連勝。その強さと“目つきのこわさ”をまざまざと見せつけられていた小錦が鮮明に覚えているのは、1989年の九州場所の13日目での対戦だった。
「そりゃ緊張したよ。これに負けたら……」
「そりゃ緊張したよ……。これに負けたら優勝なくなるから……」
しかし小錦は、もろ手突きからの左のど輪でのけぞらせ、当時の体重230kgを乗せた突っ張りを浴びせ突き出した。
最終的な対戦成績は、千代の富士から見て20勝9敗。それでも小錦にとってこの大一番は、悲願の初優勝に直結する大きな白星となった。