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千代の富士相手には「首折れて死んでもいい」「もう強くて、ずっと強かった」 小錦、大乃国… 名力士は“大横綱”にどう挑んだか 

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posted2022/05/22 11:02

千代の富士相手には「首折れて死んでもいい」「もう強くて、ずっと強かった」 小錦、大乃国… 名力士は“大横綱”にどう挑んだか<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

圧倒的な強さを誇った千代の富士

「相手にとっては意味のある相撲で、だから全くうれしくないといえばウソになるけど……でも、連勝止めるより、あくまで横綱という地位としての成績だよね。この時だって場所が終わった時、納得いくものではなかった。もし、ボクが三役以下だったら、横綱じゃなければ別だけどね……」

 横綱としての意地。ただそれだけだった。

首折れてもいいと思うくらいに

<名言4>
勝ってもうけもん、首折れて死んでもいいと思うくらいにぶちかましてた。
(北天佑勝彦/Number271号 1991年7月5日発売)

◇解説◇
 北天佑は45歳の若さで急逝してファンから惜しまれたが、甘いマスクとバランスの非常に良い肉体で人気を博した。

 そんな北天佑が千代の富士相手に初勝利したのは、81年春場所6日目だった。当時、25歳の千代の富士は大関、20歳の北天佑は前頭五枚目と大きな期待を受けていた。初場所では千代の富士が左上手投げで逆転勝ちを飾っており、北天佑は雪辱なるかという構図だった。冒頭の言葉からは、強烈な存在感を放っていた千代の富士に対して、死に物狂いで挑まなければ勝てないという覚悟が見える。

「無我夢中で内容は憶えていない。投げようと思って投げたわけじゃないし……」

 がっぷり四つに組んだところから千代の富士が外掛けに来たところ、北天佑が右下手投げで返し、千代の富士が返してきた上手投げに耐えて勝利……という豪快な一番に、会場は大きく沸いたという。

 その後、北天佑は22歳にして大関昇進を果たし、ウイルス性肝炎からの糖尿病併発に苦しんだものの、44場所にわたってその座に在位し続けた(通算でも史上5位)。それでも千代の富士とのメンタルの差について、こうも語っていた。

「横綱に比べれば、オレなんか何となくやってたという感じじゃないかな、第三者から見れば……。輝いてる人とにぶい光の人との差じゃないかな……」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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