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「お前が監督か。他におらんのか?」野村克也がヤクルト高津監督に贈った“最後の金言”「野村監督の言葉はいつも答えではなく問いでした」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byJIJI PRESS
posted2022/03/24 17:04
1995年、高津臣吾(現ヤクルト監督)とがっちりと握手をする故・野村克也監督。高津がクローザーとして覚醒した背景には、野村監督の「問い」があった
「最下位のチームを引き受けたんだから、気楽に思い切ってやりなさい。もうこれ以上落ちることはないんだから、好きにやったらいいんだよ」
僕にとって、これが野村監督からの最後の言葉となりました。自分が監督になって、今までとは違う新しい関係でお話しできると思っていただけに、本当に残念です。
野村監督の言葉はいつも「答え」ではなく「問い」だった
野村監督は本当に言葉を大切にしていた方でした。僕のようにペラペラとしゃべるのではなく、別に意識しているわけでもないのに、聞いている人をグイグイ惹き込む魅力がありました。その内容もとても深くて、「えっ、どういうこと?」「それで、どうなるの?」と、聞く側をすぐに夢中にさせました。自分も監督となった今、野村さんのように言葉を大切にして、選手たちと接したいと思います。
「言葉は武器だ」と、改めて痛感します。言葉一つで人をやる気にさせたり、逆にやる気を失わせたりもできます。軽はずみなひと言が人を傷つけ、思わぬ事態を招くこともあります。もちろん、ほんのひと言が人生を好転させるきっかけにもなります。
今から思えば、野村監督の言葉はいつも「答え」ではなく、「問い」でした。選手に問題を投げかけることで、自分たちで答えを探すように仕向けていました。
必死に答えを探したからこそ、僕の野球人生は幸せなものとなりました。もちろん、誰に対しても同じやり方が通用するとは限らないけど、自分も監督となった以上は選手たちにいい気づきを与えられるような「問い」を投げかけるつもりです。
野村監督が言っていた「監督とは気づかせ屋である」という言葉を大切に、これからも戦っていきたいと思っています。
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