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“ウクライナ生まれ”のヒョードルが「私の故郷はロシア」と語った理由…ワリエワらを輩出した「サンボ70」指導者の差別発言も
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byKoji Fuse
posted2022/03/06 17:01
2004年、地元スタールイ・オスコルでトレーニングに励むエメリヤーエンコ・ヒョードル。右は弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダー
「サンボ70」の指導者が言った「あのウクライナ野郎」
ウクライナ生まれのロシア人はヒョードル一家だけではない。スタールイ・オスコルにはウクライナをルーツとする家が多かった。ヒョードルが生まれた頃のウクライナは、まだ旧ソ連の領土だった。2004年に初めてスタールイ・オスコルを訪れ、ヒョードルの自宅でお昼ご飯をご馳走になったときのことだ。国籍について尋ねると、ヒョードルは「私の故郷はロシアしかない」と真顔で主張した。
「以前はウクライナだってロシア(旧ソ連)内の共和国だったのだから、区別するつもりはない。でも、自分のアイデンティティはロシアにある。精神の強さと愛国心を学び、ロシアの教育を受けることで私は完全にロシア人になった」
区別するつもりはないという発言は、この日食前酒として出された『ゴリルカ』が証明しているように思えた。このウォッカはウクライナの名産だった。
日本で“60億分の1の男”として最強の名をほしいままにしたヒョードルは主戦場をアメリカに移すと、ロシアの強さの象徴としてウラジーミル・プーチン大統領に寵愛されるようになる。2011年にロシアで凱旋試合を行ないアメリカの選手から勝利を収めたときには、プーチンから「ロシアの真のヒーロー」と褒めたたえられた。
ただ、その見方に異論がなかったわけではない。以前、モスクワにあるロシアのアスリート養成校「サンボ70」に取材に行ったときの話だ。北京冬季五輪でのカミラ・ワリエワのドーピング騒動でフィギュアスケート部門が注目を集めることになったが、筆者は学校名にもなっているロシアの格闘技サンボ(レスリングと柔道を合わせた国技)の英才教育を取材した。
そのときサンボ担当の指導者は、通訳を介して私に質問してきた。
「ロシアでは、ほかにどんな取材を?」
ヒョードルの知名度は母国でも徐々に高まりつつあるという機運を感じていたので、私はハッキリと答えた。
「ヒョードルさんの取材です」
その指導者は即座に反応した。
「ああ、あのウクライナ野郎ですか」
ドキッとした。いい感情を抱いていないことは明らかだった。筆者にとっては数あるロシア取材の中で、唯一ロシア人がウクライナ人に対する差別的な表現をした瞬間だったので、ハッキリと記憶している。
もっとも、そういう見方は少数派であり、「ロシアとウクライナは友人のような関係だった」とする向きの方が大多数だったように思う。少なくともペレストロイカ後のスポーツの世界においては。