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“ウクライナ生まれ”のヒョードルが「私の故郷はロシア」と語った理由…ワリエワらを輩出した「サンボ70」指導者の差別発言も  

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布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

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posted2022/03/06 17:01

“ウクライナ生まれ”のヒョードルが「私の故郷はロシア」と語った理由…ワリエワらを輩出した「サンボ70」指導者の差別発言も <Number Web> photograph by Koji Fuse

2004年、地元スタールイ・オスコルでトレーニングに励むエメリヤーエンコ・ヒョードル。右は弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダー

マリウポリに住む旧友への電話はつながらず…

 レスリングのグレコローマンスタイルの日本代表としてアトランタ・オリンピックに出場した嘉戸洋(現・環太平洋大体育学科副学科長)さんは、2002年に海外研究員としてウクライナに1年ほど滞在した経験がある。

 生活の拠点はドネツク近郊のマリウポリという街だった。嘉戸さんは感情を押し殺したような声で説明を続けた。

「今回ロシア軍が侵攻した初日に攻撃された街です」

 ロシア同様、ウクライナも社会主義時代の名残で団地形式の集合住宅が多い。嘉戸さんもかの地では、今回の軍事侵攻で砲弾にさらされたような団地に住んでいた。

「十何階建てのボロボロの物件でした。1階にあるキオスク(よろず屋)のオバちゃんと仲良くなりましたね。ニュース映像を見ていたら、『ああ、こういうオバちゃんがたくさんいたなぁ』と懐かしくなりました」

 世話になった現地のクラブチームは生粋のウクライナ人だけではなかった記憶がある。

「グルジア(現・ジョージア)人の選手も来ていましたね。あのへんはちょっと南に下がったら、グルジアやアゼルバイジャン。強い格闘家をあまた輩出していますよね」

 強化合宿になれば、クリミア半島のアルシュタという街にある体育施設に招集された。

「(現在はロシアの軍事介入によって併合されている)クリミアも当時はウクライナでした。合宿にはロシアの選手も合流してやっていましたね。一緒に酒も飲んだし、仲良くやっていましたよ。僕から見て差別など感じたこともなかった」

 1995年、プラハで開催された世界選手権で、嘉戸さんは男子グレコローマンスタイル48kg級で銀メダルを獲得した。同大会で68kg級の金メダリストとなったウクライナ人のルスタム・アジという選手と、同じクラブチームに所属し、同じ街で暮らしているということも手伝い、仲良くなった。

「僕を自宅に呼んでくれたり、本当によくしてくれました」

 日本へ帰国してからも交流は続いた。2月下旬、マリウポリへのロシア軍の軍事侵攻のニュースを目の当たりにするや、嘉戸は思い切ってアジに電話をかけた。

「最初にかけたときには呼び出し音が鳴り、向こうも電話に出たみたいだったけど、まわりの音が少し聞こえるだけで彼の声は聞こえなかった。翌日もう一度かけたら、呼び出し音すら鳴りませんでした。たぶん回線がダメになったのでしょう。1日も早く戦争が終わってほしい」

 破壊され続けるキエフやハリコフの街の映像を見ると、胸が張り裂けそうになる。いったい何がプーチンを狂気へと駆り立てたのか。

 かつてスタールイ・オスコルで目にしたひまわりは、ロシアだけでなくウクライナの国花でもある。そして現在は、ロシア軍に対する「抵抗」のシンボルとして扱われている。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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