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愛された“薄命の名牝”アストンマーチャンを導いたベテラン騎手の感謝「一生懸命走ってくれてありがとう」《「ウマ娘」にも新たに登場》
text by
田井秀一(スポーツニッポン)Shuichi Tai
photograph byPhotostud
posted2022/03/05 06:00
父アドマイヤコジーン、母ラスリングカプス。栗東・石坂正厩舎。2006年にデビュー。GIII小倉2歳Sを皮切りに、ファンタジーS、'07年フィリーズレビューと重賞制覇。'07年スプリンターズS制覇。4歳の'08年3月にX大腸炎を発症し、4月21日急性心不全で没。通算11戦5勝
9月30日。第41回スプリンターズSが行われる中山競馬場は大雨。芝は不良のコンディションまで悪化した。
「マーチャンはピッチ走法なので、道悪でもウォーミングアップからのめることなくタッタッと軽快に走ってくれました」
作戦は“ゴール地点でガソリンを0にする”。これは中舘が長年培ってきた騎乗スタイルでもあった。
「日本には最終コーナーまで末脚を溜めたいという考えの騎手が多い。それならば自分は逆の発想で、人がやっていないことをやろうと考えたのがきっかけです。前半から積極的に行って、ぎりぎりのところで体力をもたせる。最後はいつも人も馬もヘロヘロ(笑)。他にそういう騎手がいなかったから“逃げの中舘”と呼んでもらえるようになったのだと思います」
デビュー以来初めて見せた“衝撃の逃亡劇”
中舘とアストンマーチャンはスタートと同時にライバルを制して先頭に飛び出す。デビュー9戦目にして初めて逃げの手に出た。前半600mは不良馬場にもかかわらず33秒1の超ハイペース。あっという間に後続に3馬身の差をつけた。
「何が何でも逃げる、という感じではありませんでしたが、馬が自然とハナへ。馬のペースを守ろうと思っていたので邪魔はしませんでした。ペースどうこうではなく、とにかくゴール板を1番に通過すればいい。馬とのコンタクトを大事に乗っていました」
直線を向いても後続との差は詰まらない。「後ろを離している感覚はありませんでした。最後はどれだけ手応えがあっても、差がついていても、必死です」と懸命に馬を鼓舞し続けた。ガソリン切れが近づいた後半の600mは36秒3の時計を要した。ゴール直前、ようやく1番人気サンアディユが追い込んできたが、マーチャンは遥か前方。気持ち良く飛ばした前半のリードが、会心の勝利をたぐり寄せた。
「GIは、馬の状態が良く、騎手も上手に乗らないと勝てないレース。雨の影響で瞬発力タイプの馬が切れなかったことも含め、全てがうまくいきました。自分の逃げのスタイルがはまったレースでもあるので、してやったりでしたね」
中舘自身にとっては、女傑ヒシアマゾンとのコンビ以来、実に13年ぶりのGI勝利。入線後の渾身のガッツポーズには万感の思いが詰まっていた。
「ゴールを駆け抜けた瞬間の喜びは今でも覚えています。当時の自分はGIには騎乗せず、裏開催のローカルで、勝たなくちゃいけない馬を勝たせる“アベレージヒッター”をやっていました。華やかな舞台とは無縁の世界で生きていましたから。あのGI勝利で、自分はもうちょっとやれるんだと思ってしまった(笑)。マーチャンには、騎手の楽しさを改めて教えてもらったという感じですね。彼女との出会いがなければ、自分はもっと早く騎手を引退して調教師になっていたかもしれません」