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伊藤みどりが浅田真央に明かす“トリプルアクセル挑戦秘話”「突き抜けた個性がないと日本人が認められることは難しかった」
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byKotori Kawashima
posted2022/02/15 17:30
代名詞トリプルアクセルで時代をリードしたフィギュア界の伝説、伊藤みどりと浅田真央の特別対談
伊藤 とにかく学校の時間以外はリンクにいましたね。山田先生からは、「踊れないぶん、スピード感で勝負だよ」とよく言われていたので、リンクの上にいることで感覚を養おうと、氷の上にいる時間をできるだけ長くしていました。
浅田 朝から晩までそれだけの練習を積み重ねてきたからこそ、愛知県出身の恩田美栄さんや中野友加里さんが継承して、その後、私たちが受け継ぐことができたのかなって思います。
伊藤 真央ちゃんも、(宇野)昌磨も、みんな本当に真面目だよね。思い出すのは真央ちゃんがグランプリ東海に来ることが決まったとき、山田先生が相当喜んでいたこと。「真央ちゃんはあなたと違ってかわいくて、なんでもできるんだから」って。先生は私のようなタイプのスケーターしか教えられないと言われるのが嫌だったから、真央ちゃんが来てくれて本当に嬉しかったんです。
「個性がないと日本人が認められることは難しかった」
浅田 みどりさんは女子で史上初めてトリプルアクセルを成功させましたが、誰かのジャンプを参考にされたんですか。
伊藤 私が挑戦していた頃は、男子の世界トップ5がみんなトリプルアクセルを跳んでいたんです。アメリカのブライアン・ボイタノや、今、羽生(結弦)くんを指導するブライアン・オーサーのトリプルアクセルの映像は、ビデオが擦り切れるほど、何度も繰り返し見て勉強した記憶がありますね。でも、'88年のカルガリー五輪で5位に入賞したことで、一緒に世界ツアーをまわれることになって、彼らのジャンプを生で見ることで、より吸収力が増しました。
浅田 みどりさんのトリプルアクセルのスピード感やジャンプの高さは、誰にも真似できないですよ。すごい。
伊藤 当時、欧米の選手ばかりの中では、突き抜けた個性がないと日本人が認められることは難しかった。私の場合、日本よりも先に世界で個性が認知された“逆輸入”だったと思います。トリプルアクセルを跳んでいない時代は、5種類のトリプルジャンプを跳んでいても、2種類しか跳んでいないカタリナ・ビットが優勝したり。ふざけんなよって思ったことも正直ありました(笑)。でも、カルガリー五輪が終わって、クリスティ・ヤマグチら新しい世代が台頭してきたと同時に、どの選手も一気にトリプルルッツまで跳ぶようになりましたね。
浅田 フィギュアスケートはスポーツである以上、難しいジャンプを跳ばなければ勝てないのが普通だと私は思うんです。ただ、高難度のジャンプを成功させて勝てることもあれば、勝てないときもあって。時代によってルールも変わりますし、採点基準もいろいろとあるので、少し不安定なスポーツではありますよね。
「それでも3Aに挑戦したのは『五輪』だったからかも」
伊藤 でも、調子が悪いときや自信がないときは、私はトリプルアクセルにこだわり続けず、跳ぶことをやめていたの。跳べる自信があるタイミングでしか試合では跳ばなかった。銀メダルだったアルベールビル五輪も本来ならオリジナル・プログラムでも跳んだ方が良かったんだけど、成功する確率が低くて、自信がないから跳ばなかった。フリーでも1本目は失敗しているしね。