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伊藤みどりが浅田真央に明かす“トリプルアクセル挑戦秘話”「突き抜けた個性がないと日本人が認められることは難しかった」
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byKotori Kawashima
posted2022/02/15 17:30
代名詞トリプルアクセルで時代をリードしたフィギュア界の伝説、伊藤みどりと浅田真央の特別対談
伊藤 その経験が努力し続けることにつながっていったんだね。その後、めきめき力を付けていって。真央ちゃんがトリプルアクセルを跳んだ'05年世界ジュニア選手権を現地で、シニア初参戦で優勝したGPファイナルもテレビの解説をしていたので現地で見ることができたの。真央ちゃんの節目となる大会にはだいたい立ち会えているんだよね。
浅田 私がノービスからジュニアに上がったときも会場にいらしてくださいましたよね。現役時代の演技を生で見たことはありませんが、よく映像を見て勉強させてもらっていましたし、みどりさんは私にとって永遠のスター。だから、みどりさんの衣装を着たときは本当にうれしかった。小学6年生のときにクスコの曲で初めて着て、'05年の世界ジュニア選手権では優勝することもできました。そこからトントン拍子で結果が出せたのは、絶対にみどりさんのパワーが衣装に入っていたからだと思います。
伊藤みどり「とにかく学校の時間以外はリンクにいた」
伊藤 トリプルアクセルも継承してくれたよね。私はあまり努力しないタイプだったけど(笑)、きっと真央ちゃんはすごく努力していたんだろうなあ。
浅田 そんなことないですよ。だって、昔はコンパルソリー(※1)がありましたよね。だから当時の方が想像以上に練習していたんじゃないかなって思います。私も挑戦したことがあるのですが、今の選手でできる人っているのかなと疑問に感じるくらい、とても高度な技術が必要とされますよね。
※1 男子シングルと女子シングルで1990年まで行われていた種目の1つ。「規定」とも呼ばれ、氷上を滑走して課題の図形を描き、滑走姿勢と滑った跡の図形の正確さを競った。
伊藤 私はコンパルソリーが苦手だったから苦労しましたね。
浅田 どれくらい練習していたんですか?
伊藤 練習の3分の2はコンパルソリーに時間を費やしていたかな。
浅田 すごい……。
伊藤 しかも課題は毎年変わるし、どの課題になるかは大会毎に違うからね。どんなに苦手でも、そこは努力しないと身にならなかったから練習するしかなかった。
浅田 小学生時代のみどりさんの映像を見たことがあるんですけど、ジャンプはもちろん、当時からスケーティングやスピンの速さはずば抜けていました。今のノービスの選手と比較してもまったく遜色ないです。一体どんな練習をされていたんですか。