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伊藤みどりが浅田真央に明かす“トリプルアクセル挑戦秘話”「突き抜けた個性がないと日本人が認められることは難しかった」

posted2022/02/15 17:30

 
伊藤みどりが浅田真央に明かす“トリプルアクセル挑戦秘話”「突き抜けた個性がないと日本人が認められることは難しかった」<Number Web> photograph by Kotori Kawashima

代名詞トリプルアクセルで時代をリードしたフィギュア界の伝説、伊藤みどりと浅田真央の特別対談

text by

石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

PROFILE

photograph by

Kotori Kawashima

いよいよ今日から北京五輪フィギュアスケートの女子シングルが始まる。そこで、日本フィギュアを代表する2人、伊藤みどりさんと浅田真央さんの対談(「Sports Graphic Number」掲載記事)を特別に公開する《全2回の1回目/#2に続く》。

〈初出:2018年12月20日発売号「[スペシャル対談]伊藤みどり×浅田真央『トリプルアクセルのバトンを次に』」/肩書などはすべて当時〉

1992年アルベールビル五輪の銀メダリストと、スポーツの枠を超え、愛された国民的ヒロイン。類稀な才能に磨きをかけ、代名詞トリプルアクセルで時代をリードしたフィギュア界の伝説の2人が、お互いの歩みを語り合い、新世代へエールを送った。

◆◆◆

 日本女子フィギュアスケート界を牽引してきた伊藤みどりと浅田真央。女子で史上初となるトリプルアクセルを成功させた伊藤は、1992年アルベールビル五輪でフィギュアスケートでは日本人選手として初の銀メダルを獲得。そのバトンを受け継いだ浅田は、シニア初年度のGPファイナルに15歳で優勝し鮮烈なデビューを飾った。さらに2010年のバンクーバー五輪ではショートプログラム、フリー合わせて3度のトリプルアクセルを成功させ、銀メダルに輝いた。ともに名古屋出身で、山田満知子コーチに指導を仰いだ伊藤と浅田。トリプルアクセルを武器に、世界に挑み続けた二人の対談が、雑誌では初めて実現した。

カナダ行の飛行機で隣に「機内誌の世界地図を広げて…」

伊藤 真央ちゃんを最初に知ったのは(愛知県の)県大会かな。まだ小さい頃だったけれど、すごく上手な子がいるっていう話はよく聞いていましたよ。

浅田 私が初めてみどりさんを見たのは、当時練習していた大須のスケートリンクです。みどりさんは引退後にプロの方たちの試合に出場するためにリンクに練習に来られていて。(樋口)美穂子先生と一緒に振付けをしていた様子を見ていた記憶があります。当時、私は小学4年生くらいで、幼いながらもみどりさんのジャンプの高さやスピードにとても驚きました。

伊藤 初めて話をしたのは何歳だっけ?

浅田 小学5年生の頃ですね。大須のスケートリンクでスケート靴を履いているときでした。うれしかったのは一緒に行ったカナダ合宿。10~15人いたなかで、幸運なことに飛行機の座席がみどりさんの隣だったんですよ。すごく緊張したけれど、みどりさんがいろいろ話しかけてくださいました。

伊藤 機内誌に載っていた世界地図を広げながら、真央ちゃんに自分が試合でどんな国に行ったとか、真央ちゃんもたくさん試合で海外にいけるといいねという話をしたよね。真央ちゃんは小さい頃、本番で緊張したり、怖がるタイプだったでしょ?

「みどりさんのパワーが衣装に入っていたから」

浅田 本番に弱かったですね。どちらかというと(姉の)舞の方が強かったと思います。私は試合でよく失敗もしていました。でも、舞より練習しているという自負があったから、同じ試合に出て負けると悔しかったですし、それが私の負けず嫌いのスタートというか原点になったと思います。

【次ページ】 伊藤みどり「とにかく学校の時間以外はリンクにいた」

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