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《ノア1・1武道館》武藤敬司&ファンキー加藤が“プロレス愛”を語り尽くす!「ちゃんちゃんこの代わりに赤いベルトが欲しいんだよ」

posted2021/12/30 17:08

 
《ノア1・1武道館》武藤敬司&ファンキー加藤が“プロレス愛”を語り尽くす!「ちゃんちゃんこの代わりに赤いベルトが欲しいんだよ」<Number Web> photograph by Gantz Horie/MUTO OFFICE

プロレスリングノア1・1武道館大会を前に実現した武藤敬司と“大のプロレスファン”ファンキー加藤対談

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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Gantz Horie/MUTO OFFICE

 来る2022年、元日に日本武道館でビッグマッチを開催し、さらに1月8日横浜アリーナで新日本プロレスとの全面対抗戦が決定するなど、今マット界の台風の目となっているプロレスリング・ノア。
 今年2月ノアに入団し躍進の原動力となった武藤敬司と、プロレスファンとして知られ、1・1日本武道館大会のテーマソング『VOYAGE』を制作したミュージシャンのファンキー加藤が、大一番を前に今のノアの面白さを語ってくれた。

◆◆◆

――加藤さんは子どもの頃からのプロレスファンとして知られてますけど、とくに武藤敬司ファンだったんですよね?

加藤 そうなんですよ。

武藤 ホントは蝶野(正洋)のファンだったって聞いたよ?

加藤 いやいや、たしかに蝶野さんも好きでしたけど、それは僕が高校時代で、蝶野さんが“黒のカリスマ”になってから。白パン時代の蝶野さんの良さは中坊にはわからなかった(笑)

――昔の蝶野さんはヒザまでの白いタイツ姿で、髪の毛は七三分けでしたからね(笑)

加藤 小中学生の頃はダントツで武藤さんですよ。中学生くらいって、やっぱりわかりやすいカッコ良さを好むので。新日本だと武藤さん、全日本だと三沢光晴さんのファンでしたね。当時、プロレス雑誌でも「武藤と三沢がもし闘ったらどうなる?」みたいな特集が組まれていたんですよ。写真を切り抜いて武藤さんと三沢さんがドロップキックを打ち合ってるみたいな合成写真が載ってて。

――フォトショップなんてない時代に、そんなコラージュが(笑)

加藤 たぶんあれは手作業だと思いますよ。そのページを見るだけで、すげえワクワクしてましたね。10代の頃は、授業中に先生の話もロクに聞かずに、夢の対決を勝手に妄想して楽しんでましたから(笑)

加藤「今年の武藤さんは年齢を感じさせない活躍ぶりでした」

――ちなみに新日派、全日派、どちらだったんですか?

加藤 ぶっちゃけ、当時は新日派でしたね(笑)。やっぱり、新日のほうがマイクパフォーマンスなんかもあって、対立構造がわかりやすかったんで。

武藤 だけど、2000年代に入った頃の格闘技路線の新日本は好きだった?

加藤 いや、正直あまり愛せなかったです。

武藤 だから俺も辞めたんだけどさ(笑)

加藤 だからその頃、旗揚げしたばかりのノアがいちばん好きになったんですよ。

武藤 俺はそのとき全日本を好きになっちゃって、移籍したんだけどね。俺は新日本を辞めて、もうすぐ20年だよ。辞めてからのキャリアのほうが長いんだから。今はプロレスファンだって、俺が髪の毛生えてたなんて知らないのばっかりだよ(笑)

加藤 僕の家族も昔の武藤さんの写真を見てビックリしてました。「えっ、昔からツルツルじゃないの?」って(笑)

武藤 時間が経つのなんてあっという間だよ。俺なんか12月23日で59歳だからね。

加藤 でも、今年の武藤さんは年齢を感じさせない活躍ぶりでしたよね。

武藤 まあ、2月にノアに入団して、活躍させてもらえる舞台を用意してもらったっていうのが、ありがたかったよ。ただ、まだまだコロナも完全に収まってないし、オミクロン株なんていうのも出てきたから、プロレス界は大変だけどさ。

加藤 コロナでエンタメ業界全体が大ダメージを受けましたからね。

【次ページ】 武藤「武道館はやっぱり怖い会場」

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