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「彼らに何もできていない。申し訳ない」 難民GKがぬぐえずにいた、日本とミャンマーの仲間に対する“沈痛な思い”
text by
木村元彦Yukihiko Kimura
photograph byNaoki Morita/AFLO
posted2021/12/19 17:01
ピエリアンアウンは今、必死に日本の舞台で戦っている
通常は選手との話し合いに社長が応じることはないが
湘南戦以降もメンバー入りが叶わずにいた。本人もまた早朝から夜に及ぶルーティンに疲労がたまっているようだった。ピエリアンの性格からして、自分から、生活が辛いとは、絶対に言わない、しかし、このままでは、フットサルも日本語学習も中途半端になってしまうのではないか。
一度、生活全体を見直す意味でも現状についての話し合いを持ったらどうか、という声が支援者から上がり、YS横浜の代表である吉野次郎も含めての面談を持つことになった。
「Jリーグクラブの社長は消耗品である」とは、粉飾決算で処分を受けた愛媛FCに社長として送り込まれ、見事に再建を果たした豊島吉博元日本サッカー協会事務局長の言葉であるが、言い得て妙である。
Jのクラブの社長の日常は、週末の試合の運営のみならず、自治体行政への働きかけ、下部組織の整備、ステークホルダーへのケアーなど多岐に渡る。特に健全経営を旗頭にしたクラブライセンス制度が制定されてからは、多忙を強いられている。通常はひとりの選手の現状について話し合いを持ちたい、と告げても特別扱いはできないと断られるか、部下に振られるのが常である。
経済的に自立したいという強い”意志”
しかし、吉野はいつも必ず時間を確保して応じる。
ピエリアンにコンディション調整のために昼間の仕事を少し減らしたら、どうか? という問いかけがなされた。心身のストレスを軽減するには、それが最良かと思われた。ところが、ピエリアンは「工場の仕事はとにかく継続したい」という。それはもう誰にも頼らずに経済的に自立をしたいという強い意志から出たものであった。
吉野は選手としての境遇を踏まえてひとつの提案をした。「自立をしたいのであれば、サッカースクールでコーチの仕事を手伝うという、プレーに近い現場の仕事はどうかな。指導者として将来を見据えているのならば、その環境の提供は我々はできるから」。
普通ならばサッカーに携わる仕事を提示されれば、飛びつくようなものだが、本人は「自分はまだ誰かにサッカーを教えるという勉強をしていません。それは無理です」と頑なに拒んだ。ストイックな態度を崩そうとはせず、子どもとサッカーをするのは楽しいけれど、まだ指導はできませんと繰り返した。結局、現在の生活を続けていきたいという意志を尊重して、工場労働を継続していくことが確認された。
10月29日、今年何度目かの悲劇の一報がミャンマーから入る。北西部チン州の町タンタランに向けて国軍が一斉砲撃を開始したのである。