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Jリーグを目指す有望クラブでまさかの“クラスター発生” 32歳代表と23歳指揮官は福山シティFCの危機をどう乗り越えたのか
text by
宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya
photograph byTetsuichi Utsunomiya
posted2021/12/14 17:00
1997年12月24日生まれの小谷野拓夢監督は“新卒2年目”にあたる23歳。就任の背景には「若い指導者の育成を目指す」というクラブの理念があった
とはいえ、福山シティFCにとってJリーグを目指すことは、手段であって目的ではない。
クラブが目指すのは「地域課題を解決しながら福山市にプロサッカークラブを誕生させ、福山市に貢献する」こと。そしてもうひとつが「優秀な若い指導者を発掘・育成して、日本サッカーのレベルアップに資する」こと。そこで迎えたのが、17歳でサッカー指導者になることを決意し、北陸大学で学んでいた茨城県出身の小谷野であった。監督のオファーを受けた時の心境を、当人は鮮明に記憶している。
「あれは2019年の8月でしたね。岡本さんから『日本サッカー界のために、若い指導者の育成が必要だと考えているんだ』と言われました。実は、僕が指導者を目指すきっかけとなったのが、高校2年のスペイン合宿だったんです。そこで強く感じたのは、日本サッカーとの一番の違いが指導者の質であったこと。福山からのオファーは、僕自身がずっと抱えていた問題意識とマッチしていたので、断る理由がなかったです」
クラスター発生と全社中止を乗り越えて
そして2021年。新体制発表会で小谷野が語ったように、今季の福山シティFCは「中国リーグ昇格」「全社優勝」「天皇杯でのJクラブ撃破」という3つの目標を掲げていた。
コロナ禍の影響により、中国リーグは昨年「昇降格チームなし」と決定。その代わり福山シティFCには、全社への出場権が与えられることとなった。昇格する力はあるのに、同じカテゴリーで足踏みすることのダメージについて、若き指揮官はこう語る。
「まず、選手が残ってくれるかという不安がありましたね。幸い、カテゴリーが理由で去った選手はゼロでしたが、県リーグだと普通にやっても大差で勝ってしまうんです。ですから、選手のモチベーションコントロールが難しかった。指導者としても、目の前の試合の結果を求めながら、個々の成長を促さなければならない。だからこそ、格上と対戦できる天皇杯や全社に出場することを、われわれは重視していました」
今年の天皇杯は、2回戦でJ1の清水エスパルスと対戦し、0−1で惜敗。その後、全社の中国大会を突破したものの、思わぬアクシデントに見舞われる。オフ期間中だった8月末、チーム内でクラスターが発生したのだ。代表の岡本が当時の状況を証言する。