ツバメの観察日記BACK NUMBER
《高津監督に矢野監督、ビッグボス新庄も》野村克也チルドレンが球界を席巻 「人を遺すは上とする」を実践した名将の教えに迫る
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2021/11/23 17:03
3度の日本一に輝いたヤクルト時代の野村克也監督。モットーの「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする」は、関東大震災後に東京の復興を成し遂げた政治家・後藤新平の言葉として知られている
監督就任が決まった後には、自身のInstagramにおいて、野村氏の語録の一つである「外野手出身監督に名監督なし」という言葉を引用し、「ほぉ~実に面白い」とコメントしている。自由奔放に見える外野手出身の新庄新監督がどんな野球を見せるのか? そこに野村氏の影響はどの程度見え隠れするのか? 来季の日本ハムの戦いぶりに注目したい。
アマチュア球界にも広がる「野村の教え」
「野村の教え」の影響はプロ球界だけにとどまらない。阪神の監督を辞した後の03~05年の3年間、野村氏は社会人野球・シダックスの監督を務めており、就任1年目には都市対抗で準優勝に輝き、監督在任中には巨人・野間口貴彦、日本ハム・武田勝、ソフトバンク・森福允彦など、後にプロに進む選手を輩出している。
また、18年の明治神宮大会・大学の部において見事に優勝した立正大学・坂田精二郎監督もシダックス時代に正捕手として、間近で野村の薫陶を受けた一人である。坂田監督は今でも、当時の「野村ノート」を大切に保管している。
生前、「高校野球の監督をしたかった」と語り、徳島・池田高校の名物監督だった「蔦(文也)さんがうらやましい」と口にしていた野村氏だが、「野村の教え」は高校野球の世界にも及んでいる。シダックス時代に野村氏の参謀を務めた田中善則は昭和第一学園高校の監督となり、生徒たちに野村の教えを実践させている。あるいは、2018年に中央学院高校を甲子園に導いた相馬幸樹、母校を埼玉の強豪校に育て上げた昌平高校・黒坂洋介監督もシダックス時代の野村チルドレンである。
彼らは一様に「僕らには野村監督の教えを次世代に伝える使命がある」と語る。「野村の教え」は着実に次世代へと受け継がれつつあり、野村氏の孫弟子にあたる指導者は、今後も続々と登場してくることだろう。
あるいは、監督として東京五輪で侍ジャパンを金メダルに導いた稲葉篤紀(現日本ハムGM)もチルドレンの一人だし、次期監督候補として名前が挙がっている栗山英樹前日本ハム監督もまた、ヤクルト時代の野村の下で現役生活を終えている。現在もなお、「野村の教え」は球界に多大な影響を及ぼしている。やはり、野村克也は人を遺した。プロアマ問わず、野村チルドレンが今後も、日本球界を盛り立てていく。死して野村は、人を遺す。改めて、その思いが強くなる。
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