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「150キロの腕の振りで、100キロのシンカーを投げられないか?」野村克也の“無茶振り”が高津臣吾を守護神へと変貌させた

posted2021/11/16 17:03

 
「150キロの腕の振りで、100キロのシンカーを投げられないか?」野村克也の“無茶振り”が高津臣吾を守護神へと変貌させた<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

西武・潮崎哲也のシンカーに着想を得た野村克也は、高津臣吾に習得を指示。緩急自在のシンカーはやがて高津の代名詞となった

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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BUNGEISHUNJU

1992年の日本シリーズで、第7戦の延長10回までもつれる大接戦の末に、森祇晶監督率いる西武に敗れたヤクルト。野村克也監督のもと、翌1993年はシーズン前から「打倒西武」を掲げてセ・リーグ連覇を果たした。優勝の原動力となったのは、クローザーとして覚醒したプロ3年目の高津臣吾と、切れ味鋭い高速スライダーを武器に大活躍したドラフト1位ルーキーの伊藤智仁。ヤクルトの現監督と一軍投手コーチとして、チームに6年ぶりの日本シリーズ進出をもたらした2人の現役時代の活躍を振り返る(全2回の1回目)。※本稿は『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)の一部を抜粋、再編集したものです。

 開幕三連敗─。

 それが、93年のヤクルトスワローズだった。

 10試合消化時点で三勝七敗。完全にスタートダッシュに失敗した。

スーパールーキー・伊藤智仁の活躍

 しかし、その中にも光明はあった。4月20日に一軍登録されたばかりのドラフト一位ルーキー、伊藤智仁がプロ初登板初勝利を飾っていた。

 古田敦也に「直角に曲がる」と言わしめた高速スライダーを武器に、前半戦は伊藤を中心にヤクルトのローテーションは回っていく。星稜高校・松井秀喜の指名を回避してまで、野村が「伊藤がほしい」と切望した上での獲得だった。

 前半戦だけで14試合に登板し、7勝2敗、防御率0・91という堂々たる成績を残し、伊藤はこの年の新人王に輝くことになる。

 5月半ばまでは五位だったが、ゴールデンルーキー・伊藤の活躍もあって少しずつ白星を積み重ねていき、5月下旬には首位に立った。

 さらに、前年の日本シリーズ第七戦では、仲間たちの奮闘を応援することしかできなかった川崎憲次郎が、ようやくマウンドに戻ってきた。

「92年のキャンプで右足首を捻挫しました。最初は“ただの捻挫なのでたいしたことはないだろう”と気楽な気持ちでいたんです。ところが、足をかばって投げているうちに、その負担が全部ひじにくるわけです。それで結局、一年を棒に振りました。この年の日本シリーズ、僕は神宮球場のスタンドから仲間を応援していました。日本シリーズは僕にとっての夢の舞台でした。“投げたい”という思いはあるのに身体が追いついてこない。“どうして、オレはこのマウンドにいないんだ……”、そんな思いで見つめていました」

【次ページ】 新クローザー・高津臣吾の覚醒

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