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「勝てないと甲子園で優勝できねえぞ」監督に言われ…斎藤佑樹が明かす“初めて駒大苫小牧を意識した瞬間” 

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石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

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photograph byJIJI PRESS

posted2021/08/21 11:04

「勝てないと甲子園で優勝できねえぞ」監督に言われ…斎藤佑樹が明かす“初めて駒大苫小牧を意識した瞬間”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

15年前の夏、100年に1度の伝説の名勝負を制した斎藤佑樹

「自分で理解して、これは必要だと思ったことはやり切る子ですから。近めを攻め切れないとダメだという話をしたら、バッターを立ててインコースに投げる練習をよくやっていました。そのおかげで近めはコントロールできるようになりましたよね」

リベンジマッチ、そして全国制覇へ

 2005年10月29日、神宮第二球場。

 夏のコールド負けから3カ月後、早実はふたたび日大三と対戦した。センバツをかけた秋季大会、東京地区の準決勝。斎藤にとっては、雌伏のときを経てのリベンジマッチだった。斎藤は言った。

「大会に入るまでは、2、3段階のレベルアップが必要だと思っていたんですけど、大会に入ってからは、今、持っているものでどうにかしようと考えるようになりました。日大三を抑えるためには、アウトコースを遠く見せなくちゃいけない。そうすればフルスイングされることはない。だから練習してきたインコースを攻めたんです」

 斎藤は日大三に得点を詐さない。顔ぶれが違うとはいえ、夏にホームランを打たれた田中洋平も内角を突いて4打数ノーヒットに抑えるなど、強打の日大三に最後までつけ入るスキを与えない。

 早実2-0日大三。2年の秋、斎藤は階段を一つ、上った。早実は決勝も勝ってセンバツ出場を確実にするとともに、明治神宮大会への出場権も獲得した。その舞台で早実は駒大苫小牧と対戦、4回途中から登板した田中に完璧に封じ込められる。17個のアウトのうち、13個ものアウトを三振で奪われたのだ。それでも日大三の壁を越えて、全国を見渡し始めた斎藤は、試合後に乗り込んだ荷物車の中で、和泉監督とこんな話をしている。

「あそこに勝てないと甲子園で優勝できねえぞ。どうやって勝つ?」

「1対0です」

「お、そうか、俺も1対0なら勝てると思う。1対0を目指して頑張ろうや」

「2年の夏だって完封できたかもしれない」

 秋の日大三に勝って、神宮での駒大苫小牧と戦ったことによって、斎藤には初めて全国制覇への道筋が見えてきた。センバツで横浜に負けた後はフォーム改造に取り組み、平均球速を上げる。3年夏の西東京大会でも決勝で日大三と戦い、延長11回の死闘の末、ついに夏の甲子園への出場を決めた。その後の2週間は誰もが知る“ハンカチ王子”の物語だ。和泉監督はこう言った。

【次ページ】 「2年の夏だって完封できたかもしれない」

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斎藤佑樹
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