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「豊島? 強いよね」にカツラ芸… 将棋界のエンターテイナー佐藤紳哉は若い頃"アイドル棋士"だった?~中村太地と対談~
text by
中村太地Taichi Nakamura
photograph byTomosuke Imai
posted2021/06/29 11:05
佐藤紳哉七段と中村太地七段に現在の将棋界について対談してもらった※撮影時のみマスクを外しました
中村 17歳でなりました。2006年に四段なんですよ。
紳哉 僕は20歳で四段になったので。プロ棋士としては8年くらい先輩に当たることになります。
中村 だいぶ先輩ですね。ただ私は棋士となってから紳哉先生に研究会で教わっていたわけでもなく。棋士として最初にお話しさせていただいたのは、意外と覚えていないもので。
紳哉 1回、僕の家に遊びに来てくれたことあったよね。みんなで集まっての飲み会的な催しをよく主催してたんですけど。たいてい太地君には断られていて。
中村 えっ! 用事があったから行けなかっただけですよ。
紳哉 「ちょっと大変嬉しいんですけども。ちょっと用事がありまして」みたいな感じでね。たいてい上手く理由をつけて断ってくるんだけど、1回だけ、気の紛れみたいな感じで来てくれた(笑)。それでいて実はいじられたがってて、実際にいじると喜ぶ。
中村 いえいえ、紳哉先生ぐらいしかいないです、こんな扱い方をする人は(笑)。
将棋は本格的、盤外では敢えて……
――言われたい放題になっていますが(笑)、太地先生から見て紳哉先生はどのように見ていましたか?。
中村 将棋は本格的ですし、対局中は怖いぐらいの雰囲気を醸し出されますけど……盤外ではパフォーマンス面で幅広く、というか。後ほど触れるかと思いますが「豊島竜王のインタビュー」の前から、あえて面白おかしく、という行動をしていた印象です。考えてみれば、紳哉先生がそういった言葉選びやパフォーマンスを意識し始めた時っていつだったのでしょうか?
紳哉 四段になった時から、常に将棋を知らない人々に対してアピールしていきたいな、という気持ちはあったんですよ。ですけど、実際にどうやっていけばいいのか、難しいなという感覚はありました。でも、20代後半くらいからですかね、色々身体的に……まあ簡単に言いますと、うまくハゲてくれたという。
中村 (笑)
紳哉 それを利用して"カツラ芸"をすると、うまくウケを狙えたりとか。自然と武器を手にしたという感じで、ツイていましたよね。
最初のうち、カツラ芸は受け入れられてたんですか?
――すごく素朴な疑問ですが……最初のうちは、そういった芸をしていて周囲の目などは気にならなかったんですか?