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鷹木信悟「飯伏、オマエを指名しない理由があるか」 IWGP世界ヘビー級王座に「異常事態」が起きている
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2021/06/27 11:02
IWGP世界ヘビー級王座に就いた鷹木信悟は、その“防衛できないベルト”を守り切ることができるのか
鷹木に向き始めた「運」
予期しないことはさらに起こった。王者のオスプレイは負傷した首の治療を理由にIWGP世界王座を返上し、英国に戻ってしまった。ロンドンの地下鉄の駅などに積まれているフリーペーパー「Metro」の電子版は地元の王者のIWGP世界タイトルの返上をセンセーショナルに伝えていた。
オカダも新型コロナウイルス感染症にかかっていたが、5月26日の後楽園ホールで復帰とIWGP取りを宣言して、6月7日、大阪城ホールで鷹木と王座決定戦を行うことになった。
とはいえ、自宅で経過観察していたブランクは大きく影響した。36分の試合時間は鷹木に味方した。
運というものがなかったら、鷹木が次にIWGPに挑戦するチャンスは秋に行われるG1クライマックスの結果次第というものだったはずだ。だが、時代が鷹木を求めたのだろうか。鷹木が時代を動かしたのだろうか。「来た、来た、来た」と鷹木は叫んだ。
大阪城では鷹木がオカダを沈めて第3代王者になった。新王者鷹木は飯伏を指名した。最初は「どこでもいい」と言っていた鷹木だったが、7月25日、東京ドームでの対戦が決定した。
IWGPには「防衛できない」という歴史がある
IWGPはインターナショナル・レスリング・グランプリとして1983年からリーグ戦として行われてきて、ベルトも最初から存在して、単発の防衛戦が行われたこともあった。アントニオ猪木、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアントらの時代だ。3度の大会を終えた後、IWGPは1987年から正式にタイトル化された。
ここに一つのIWGPの「防衛できない」歴史がある。1989年、ビッグバン・ベイダー、サルマン・ハシミコフ、長州力が3人連続で1度も防衛できない事態が続いた。
その年4月、東京ドームでの王座決定トーナメントで橋本真也を下して第4代王者となったベイダーだったが、同年5月、大阪城ホールでの初防衛戦でソ連のサルマン・ハシミコフに敗れてしまう。第5代王者ハシミコフは7月、大阪府立体育館で長州力に王座を奪われた。第6代王者となった長州も8月、両国国技館でベイダーに負けて、ベイダーが第7代王者として返り咲いた。3人は一度も防衛できずに、4カ月で4回、新王者が誕生した。
今回のケースもオスプレイが一度だけ防衛しているが、すぐに返上を余儀なくされたのでこれに似ている。だれかがこの流れを止めなくてはいけない。この流れを止めるのは鷹木なのだろうか。