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辰吉丈一郎が“5年ぶり試合”で無敗王者を眠らせた&放火騒ぎで新日本プロレスは3年間出禁「城ホールと横アリの伝説」 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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posted2021/06/22 17:01

辰吉丈一郎が“5年ぶり試合”で無敗王者を眠らせた&放火騒ぎで新日本プロレスは3年間出禁「城ホールと横アリの伝説」<Number Web> photograph by KYODO

1997年11月22日、大阪城ホールでのWBC世界バンタム級タイトルマッチ。左のボディーブローでシリモンコンを攻める辰吉丈一郎

 辰吉の大阪城ホール初お目見えは意外に遅く、デビューから3年後「WBC世界バンタム級王座統一戦・正規王者辰吉丈一郎対暫定王者ビクトル・ラバナレス」(1992/9/17)。超満員1万3000人の観客は辰吉のKO勝ちを期待したが、結果は手も足も出ない完敗(TKO負け)。終了のゴングが打ち鳴らされた瞬間の静けさを、筆者はテレビ越しではあったが、忘れることはできない。「おそらくこの先、辰吉が大阪城ホールで試合をすることはないだろう」と思った。格闘家(及び周囲の関係者)は意外とげんを担ぐ生き物だからだ。

 その後、王座奪回、網膜剥離、敗北、引退勧告、海外復帰、国内復帰……と紆余曲折あった末に、WBC世界バンタム級王者・シリモンコン・ナコントンパークビューへの挑戦が決まると、発表された会場に耳を疑った。5年ぶりとなる大阪城ホールだったからだ(1997/11/22)。しかし「絶対不利」の下馬評を覆し試合を優勢に進めた辰吉は、7R1分54秒、強烈なレバーブロウで無敗の絶対王者を眠らせた。鬼門とされた会場は、時として劇的なドラマを呼び込むことがあるのかもしれない。

観客が放火騒ぎ、新日プロレスは3年間使用禁止

 大阪城ホールはプロレスのビッグマッチも度々行われている。初のプロレス興行は新日本プロレス主催「ビッグファイトシリーズ第1弾」(1984/3/21)。メインは「猪木・坂口対マードック・アドニス」だが、この日の注目カードは、テロリストとして突如ブレイクをはたした藤原喜明が長州力と戦った因縁の一戦だろう。その後も、「藤波辰爾対前田日明」(1986/6/12)などの名勝負が行われてきたが、「猪木闘魂ライブ2」(1987/3/26)の「アントニオ猪木対マサ斉藤」における「海賊男の乱入」という意味不明な展開に激怒した観客が場内で放火騒ぎを起こし、新日本プロレスには3年間使用許可が下りなかった。

 また、女子プロレス初の興行は全日本女子プロレス主催「長与千種対ダンプ松本」による髪切りマッチ(1985/8/28)で、敗れた長与千種がリング上で髪を切られると、1万人(主催者発表)の大観衆の怒号と涙声が響き渡っている。いずれも熱い時代である。

 最後の稿ではオリパラにも使用される、既存の大会場のこけら落としと初お目見えについて触れてみたい。

(【続きを読む】死闘「アントニオ猪木対モハメド・アリ」から45年&ファン暴動で新日本プロレス無期限出禁も…「武道館と国技館の格闘技伝説」 へ)

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