甲子園の風BACK NUMBER
高校女子野球の甲子園開催を「正面から反対したのは私です」 25年前、高野連が下した「女子大会の開催は時期尚早」という判断
text by
飯沼素子Motoko Iinuma
photograph by作新学院高校提供
posted2021/06/09 17:00
2019年、第23回夏の選手権大会で初優勝を飾った作新学院
「朝日のキャンペーンに正面から反対したのは私です」
「このとき、朝日のキャンペーンに正面から反対したのは私です」
今年5月、任期満了で理事を退任し、顧問に就いた田名部和裕は振り返る。半世紀以上にわたって高野連に勤務した彼は、女子硬式野球の歴史の目撃者でもある。
「女子野球に反対したわけではありません。当時すでに女子選手がいましたし、女子の選手登録を認めよという声も多かった。でもそれは違うだろう、男子の中でやるのではなく、女子だけの野球をやるべきだろうと思ったのです。サッカーでもバスケットボールでも、みんな男女で分かれているでしょう。
またもし立ち上げるのなら、大会運営の基礎固めや女子の特性を知った指導者の育成など、様々な課題をある程度整理してから行うべきで、何の目途もないのに煽ると、その後の結果について誰が責任を取るのか、ということだったと思います」
朝日新聞社と四津浩平、一度だけその線が交わった
しかし朝日新聞社は相当無念だったと見え、先の詫び状で、「全国に女子野球の機運が高まってきており、願わくば各校がまず地元の高野連を動かして女子野球の輪を広げてほしい」と書いている。
朝日新聞社と四津浩平。全く違う土俵で動いていた両者だが、一度だけその線が交わったことがある。日付はわからないが高野連の最終結論が出る直前、両者は面談し、それぞれが行っている活動の情報交換をしたのである。このとき四津は高野連が難色を示し、朝日の計画は実現不可能であることを知る。そして同社からもらったアンケート調査の結果を参考に、1997年1月、女子高校生の全国大会開催に踏み出したのである。
【続きを読む】「アンチ高野連」を利用したキャンペーンに女子高野連が激怒、謝罪へ… 高校女子野球を税金で支え続けた丹波市との関係 へ