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「国際的失業者」と自虐していた鈴木秀樹(41)がWWEのコーチに就任! 求められる“人間風車”ビル・ロビンソンの技術とは
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by2021 WWE, Inc.
posted2021/05/07 17:02
WWEパフォーマンスセンターのコーチに就任する鈴木秀樹 ©2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.
ロビンソンは99年に元U.W.F.インターナショナルの宮戸優光氏が主宰する格闘技ジム『U.W.F.スネークピットジャパン』(東京・高円寺)に招聘され、日本に移住してヘッドコーチに就任。そんなスネークピットに、友人に誘われつつ入門してきたのが当時、東京・中野区で郵便局に勤務していた鈴木だった。
本格的な格闘技経験こそないものの、身体の大きい鈴木は、ロビンソンの技術指導で技の実験台になることも多く、CACCだけでなく、プロレス独自の技術まで伝授されるに至る。その体躯と技術が関係者に見過ごされるわけもなく、やがてロビンソンの好敵手であった猪木率いるIGFでプロレスデビューを飾ることになった。
代名詞「人間風車」のルーツは?
よく混同されやすいのだが、ロビンソンの代名詞である人間風車(ダブルアーム・スープレックス)は、若き日のロビンソンが技術を学んだビリー・ライレージム(英ランカシャー地方のウィガン)由来のCACC独自の技術というわけではなく、どちらかといえばグレコローマン由来の技術だ。ロビンソンはハンガリー出身の伝説の名レスラー、ギディオン・ギダから人間風車を伝授されたと伝わるが、鈴木がロビンソン本人から聞いたところによると、また少々事情が違ってくる。
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プロデビューしたばかりの若き日のロビンソンが、プロボクサーからプロレスラーへと転向して活躍していた叔父・アルフとの関係で旧知の仲であったギダ邸にて、昔のレスリング冊子を眺めていた時、その表紙を飾る人間風車の写真に強い興味を覚える。「この技術を覚えたい」と願い出たところ、ギダは「この男はドイツ人で、ウルフギャング・ブービーアールという選手だ。オレの古くからの知り合いだから紹介しようか?」と言われ、即決でギダとともにブービーアールが在住するミュンヘンへと出かけ、ブービーアールから直接、人間風車を学んだのだそうだ。
ブービーアールというのは、どうやらギダやロビンソンが呼んでいたニックネームかリングネームであった模様。FILA(国際レスリング連盟、現・世界レスリング連合=UWW)が1996年のアトランタ五輪時に関係者に配布した歴代記録の冊子によると、ブービーアールこと、ウルフギャング・アールは1932年の米ロサンゼルス五輪にてグレコローマンスタイル61kg級で銀メダルを獲得。36年のベルリン五輪ではフリースタイルの66kg級にエントリーし、こちらでも銀メダルを獲得した記録が残されている。
このブービーアールの本業は郵便局員だったそうで、ロビンソンは鈴木に人間風車をレクチャーしつつ「オレはポストマンから教わったものを、ポストマンに返してやるのさ」と、そんな奇縁に微笑みつつ、ウインクしていたという。