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大量の“砕け散ったガラス”が背中に刺さり… なぜ彼らは「血塗れ」になってまでデスマッチを戦うのか
text by
原壮史Masashi Hara
photograph byMasashi Hara
posted2021/03/24 11:01
有刺鉄線ボードごとパイプ椅子で葛西純(左)を叩く石川修司。彼らが過激なデスマッチを闘う理由とは
デスマッチを普段見ていないファンも虜にした
この試合に対して石川は「デスマッチ出来るか? と聞かれて始めたデスマッチ。やれる奴いるのか? と言われて、最後のデスマッチに挑みます」とコメントしていた。出来るか? というのは、ユニオンプロレス時代に大日本プロレスの伊東竜二から受け取ったメールのことだ。しかし、多くの全日本ファンはそこまでは知らない。
先に入場してきた石川は、髪を金髪に染め上げ、白いロングパンツをはき、ステープラーと薔薇の花束を手にしていた。大一番への決意表明であり、薔薇1000本デスマッチが行われていたユニオンプロレスを想起させる姿でもあった。しかしこれも、多くの全日本ファンは知らないことだろう。もちろん、2人の初シングルが10年前だということも。
そういうことを知らなくても、デスマッチを普段見ていなくても、この試合が全日本ファンを虜にしたのはなぜなのだろうか。
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それは、なぜそこまでして戦うのか、ということを通じて明らかになる。
カミソリやガラスで血塗れな、尊い存在
葛西はよく「生きるためにデスマッチをやっている」と言う。
それで生活している、ということだけでなく、自らを表現し、自身が最も輝き、生きていることを実感できる場所がデスマッチだ、ということだ。
生の実感のために好きなことを好きなようにやる。多くの人にとって、その生き方そのものが非日常だ。だから、突如全日本に参戦してきた葛西はすぐに支持された。1試合だけで、ちょっとしたコメントだけで、やりたいことをやっている人だ、ということが伝わってくる。そこにいた観客は次の試合も見たいと思う。やりたいことをやる、という非日常の生き方が、非日常のプロレスのリングで全開になるところを見てみたい。そう思うのは自然なことだ。
そして、その生き様を目の当たりにした観客は新しい価値観を得ることになる。そこまでやっていいのか、勝手に諦めてしまっていたな、自分も頑張ってみようかな、勇気を出してみようかな。そういう気持ちにさせられる。目に映るものがカミソリやガラスで血塗れになっている姿だとしても、そこにいるのは自分にはできない生き方をしている尊い存在なのだ。相手に凶器をわざわざプレゼントするのも、自分が落下することになるかもしれないガラスボードを自分でセッティングするのも、裏目に出た後悔よりも、やらないことを選んだ時の後悔の方が大きいことを知っているからだ。