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チームが二冠を達成しても揺るがなかった“川崎フロンターレのレジェンド”中村憲剛の引退への決意

posted2021/03/17 11:00

 
チームが二冠を達成しても揺るがなかった“川崎フロンターレのレジェンド”中村憲剛の引退への決意<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

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Shigeki Yamamoto

2020年シーズン、川崎フロンターレはJリーグと天皇杯優勝の二冠を獲得。チームが歓喜に沸くなか、川崎フロンターレ一筋だった中村憲剛は18年の現役生活に別れを告げた。引退を発表したのは、奇しくもバースデーゴールを決めた翌日。なぜこのタイミングで引退を決めたのか。そこには彼の信念があった。

 引退を発表してから何度も「まだ間に合うから撤回しろ」と言われました。ただ、長い時間をかけて決断したことでもあるし、怪我や体力的な衰えが理由ではないことを復帰した後のプレーで、言葉でしっかりとみなさんに伝えられた上での引退だったので、決意は全く変わりませんでした。

 30歳を過ぎてから、キャリアの節目を5年単位で考えるようになりました。最初は35歳で引退をするつもりで、覚悟をしながらプレーをしていた。ところが35歳になったら、まだできそうだなと。そこで契約がどうなっているかはわからないけど、40歳まで1年ずつ積み重ねようと決意したんです。僕は突っ走って、走り抜けて、みんなに求められたまま引退をしたかった。そして、チームも自分が怪我でいない間に後輩たちがしっかりと積み上げ、強さを見せてくれたことで、自分がいなくなってももう大丈夫だなと思えました。だから自分の中ではこのタイミングで引退するのがベストでした。ましてやタイトルを2つも取って引退できる選手なんてなかなかいない。総合的にも自分の決断は正しかったと思うし、チームのみんなには感謝しています。

 35歳から1年ずつ積み重ねている間、「40歳で引退してもいいかな」と本気で思えたのは、2017年、37歳のとき。プロ入りして15年、ずっと取りたいと思っていたタイトルを初めて取れたことが大きかったです。

 チームが強くなること、自分がうまくなることをずっと考え続けてプレーしてきたけれど、なかなか届かなかったタイトル。悔しい思いをしながらも、みんなで諦めずにやり続けてきた結果、ようやくたどり着けた頂点でした。うれしかったのはもちろんですが、自分が現役の間に取れてよかったというホッとした感覚の方が強かったです。

まさかあんなに長時間泣くとは(笑)

 だから優勝したら泣くんだろうなと思っていました。だけど、まさかあんなに長時間泣くとは自分でも思っていませんでした(笑)。それだけフロンターレに関わる全ての方たちの想いを背負っていたんだなと、あの長時間の涙が物語っていたと思います。その年のオフは、勝ってシーズンを終わる清々しさも知り、呪縛から解き放たれたような気持ちでした。

 結果が出ないシーズンはやっぱり辛いですよ。ただ凹むことはあっても腐ることは全くありませんでした。新しいシーズンになったら、みんな横並びでスタートになるのだから、毎年自分たちがタイトルを取るんだと気持ちを新たにして切り替えていました。

 自分次第で何回でも挽回もできるチャンスは来るし、悔しい思いを勝ちにつなげることもできる。良くなかった結果を引きずって、次の試合も結局ダメだったらもったいないでしょ。

 試合で勝っても負けても、余韻に浸るのも悔しさにまみれるのも、その日までと決めていました。過去よりも大事なのは次。たとえ過去に良いことがあったとしても美化することなく、すぐに未来を見据えて切り替えていました。

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