オリンピックへの道BACK NUMBER
「海外では同性愛者の存在が見えている」元バレー選手・滝沢ななえが思う日本の「女性ってさ」問題の難しさ
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byNanae Takizawa
posted2021/03/07 06:05
元バレーボール選手の滝沢ななえはトレーナーとしてスポーツに関わり続けている
女性と男性というくくりは出てきてしまうけど
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長であった森喜朗氏の発言だ。のちに辞任するに至ったが、発言に対する抗議、批判が相次いだ。
「森さんの発言に対して、『ああ思っている人もいるんだよね』と特に怒りを感じることもあまりなかったです。女性は話長いと思っている人いるんだよね、と。私の中ではすごく難しい問題だと思っていて、ナチュラルに話していて、『女性ってさ、男性ってさ』って、出てくることだと思います。女性と男性というくくりは出てきてしまうと思いますが、一人の人として見ていただけたらよかったと思います。女性だから話が長いというのではなく、この人の性格だから話が長いというように捉えていただけたら」
立場を「わきまえる」という言葉の危険性
発言の中の「わきまえる」「わきまえない」という言葉もクローズアップされ、議論になった。
アスリートを含め女性が、いや女性に限らず男性も、さまざまな立場でこの言葉に反応する例があった。
女性差別にとどまらず、さまざまな局面での問題を象徴する言葉であったからではなかったか。男性と女性、年配者と若者、あるいは職場での上司と部下……。スポーツなら、指導者と選手、協会幹部と現場という関係も想起される。それぞれの立場を「わきまえろ」という見方こそが差別につながるのではないだろうか。
そうした構造もまた、人を一人の人間として見る姿勢の欠如につながっているかもしれない。