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【全治8カ月の大ケガ】“全部60点”から「すぐにスコアする男」に大変身、大阪エヴェッサ・橋本拓哉の復活劇を待て
text by
カワサキマサシMasashi Kawasaki
photograph byB.LEAGUE
posted2021/03/06 17:01
今季は3月4日現在で平均29.35分の出場、13.4得点、2.3アシストをマークする橋本拓哉
「以前と比べると、ディフェンスへの意識は変わりましたね。僕がHCなら、競った試合でだれを使うかとなると、ディフェンスができる選手。そうでないと信用できませんから。僕もディフェンスを、もっと磨いていくべきだと思っています」
運動能力の高さは、17歳でのプロ入り当初から高く評価されていた。それも、そのはず。少年時代は、地元では有名な野球選手。中学時代には関西選抜に選ばれエース投手として、捕手を務めていた現阪神タイガースの北條史也とともに、全国制覇を果たしている。近隣地区の同級生ライバルでは現阪神の藤浪晋太郎、現千葉ロッテマリーンズの田村龍弘も名を馳せていて、橋本にも有名高校から推薦入学の誘いもあった。本人が望めば高校野球で甲子園に出場して、今はプロ野球選手になっていたかもしれない。だが彼にとって野球は、父親にやらされていたものだった。理不尽な少年野球の練習も受け入れられず、一時はグローブの匂いを嗅ぐだけで、吐き気をもよおすほどだったという。
「まるで『巨人の星』みたいに、父親が野球に厳しかったんです。野球の試合は好きだったんですけど、練習はシンドすぎたし、朝から夜までと時間も長い。昭和チックな教え方も、自分には合いませんでした。中学に入ったころには高校から推薦の話が来ていて決まる予定だったけど、もう限界でした。野球への未練は、なかったです。でも高校に入って、知っている選手が甲子園に出るようになって、そのときに『自分も続けていたら……』と思ったことはあります」
バスケは始めたときから楽しかった
野球から離れ、バスケットボールに転向したのは中学2年生。始めたころはルールもよくわかっていなかったが、バスケ特有のスピード感にも魅せられて、すぐに好きになった。基礎もなく最初は上手くいかなかったが、投手としてボールを投げていた経験が生かされたのか、シュートだけは入った。初めての試合で決めたのは3P。
「野球を辞めて、次は陸上かバスケをしようと思っていたんです。陸上はしんどい練習が多いし、バスケ部の友達が多かったのでバスケにしました。バスケは始めたときから楽しかった。練習が楽しいと思えたのは、初めてでした。チームにもよりますが、バスケは実戦的な練習が多いじゃないですか。試合ではオフェンスとディフェンスの両方ができて、切り替えが速い。それにもハマりましたね」
バスケを始めてわずか3年でプロになったのは驚くべきことであり、今現在でもバスケットボール歴は12年。仮に小学1年生で始めたのであれば、高校を卒業するほどの段階にあたる。26歳にして成長過程にある橋本が、キャリアで初めて負った大きなケガを乗り越え、どんな復活劇を見せるのか。今は静かに、そのときを待ちたい。