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「この表紙は放映できません」タブー視された私の本 なぜ日本人は “スーパーの肉”しか見たくないのか 

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繁延あづさ

繁延あづさAzusa Shigenobu

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photograph byAzusa Shigenobu

posted2021/02/24 11:00

「この表紙は放映できません」タブー視された私の本 なぜ日本人は “スーパーの肉”しか見たくないのか<Number Web> photograph by Azusa Shigenobu

著者が出会った犬と猟をする男。仕事は「猿回し」だという

 そもそも書籍自体がメディアである。書籍づくりも終盤に差し掛かったころ、装丁家・関根信一さんによるラフがあがってきた。すっごくカッコいい。胸が高鳴った。電話で話す編集者の声も高揚気味で、「絶妙な線を衝いてる」と出来栄えを讃えていた。それが、翌日になると急に声のトーンが変わった。ステイホームのコロナ禍。大学生と中学生のお子さんに見せると、「うわっ」と目を逸らされてしまったとのこと。「うちの子どもは読者層ではないけれど」と取り繕うも、彼が迷いはじめているのは透けて見えていた。一年間の連載で私の山感覚に近づいていたところ、気兼ねのない家族の素直な反応に、はたと目が覚めた気がしたのだろう。「とりあえず編集部に意見を聞いてみる」とのこと。

 不安になった。表紙ラフに使われた2枚の写真は、私にとって本命の2枚。肋骨が露わになった猪と、解体中の猪。いずれも、もう獣ではないが、まだ肉でもない、その間にある“殺して食べものにする風景”。私が見てきたものとして象徴的だった。私はこのとき“どう見られるか”以上に、“こんなふうに著したい”という著者としての思いが強かった。

 ただ、出版社の反応は営業部だけでなく編集部内でも圧倒的な反対だったという。グロすぎる、平積みしてもらえない、と。このままでは出せない。じゃあどうならいいのか、どこまでならいいのか、血がダメなのか、いや赤いだけでもうダメなのか——。明確な線引きがない。だからといって、猪シチューの写真に差し替えるなんてゼッタイ御免だ。時間も無く、デザインを一から変えることも困難な状況で、どう決着をつけるのか。編集者はさぞかし胃を痛めただろう。

 結局、折衷案としてオビを高くして写真を半分隠すことになった。写真はチラ見せだが、オビを取れば全部見える仕掛けだ。まるでエロ本のよう。けれど、その見え隠れする感じが本の内容に合っている気もした。隠されることで生じる存在感がある。これで解決したと思っていた。

「表紙は放映できません」

 しかし、この表紙をめぐる問題はその後もついて回った。発売に合わせて長崎市立図書館での刊行記念講演が決まったが、イベント担当者が広報活動すると「今回に限って『表紙は放映できません。本のことは口頭だけで伝えてください』と地元テレビ局に言われた」とのこと。翌日、他の局でも同様の対応があったと連絡が入った。ちょうど別の局のディレクターと取材の話をしている最中だった私は、「他局では表紙を出せないと言ってますが、そちらはどうですか?」とメールで問うてみた。すると「プロデューサーは消極的。多くの人が不愉快に感じたり大きな衝撃を感じる映像については敏感にならざるを得ない」と返ってきて、結局予定していた取材は消えた。立て続けの出来事だっただけに、さすがにショックだった。“穢れ”についても触れた本だが、今はこの本自体が穢れ扱いされているみたいだ。黙殺され、排除されていくのかという思いがした。その後、書評記事で取りあげたいという新聞社の反応はテレビほどではなかったが、それでもどの写真なら掲載できるのかの問答は続いた。

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