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角居師最後のGIレースに思い出すカネヒキリとの名タッグ 「終わった」名馬を復活させた伯楽の手腕とは
posted2021/02/19 17:02
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Satoshi Hiramatsu
今週末の21日、JRAでは東京競馬場で今年初めてのGIとなるフェブラリーSが行われる。ダートの1600メートルが舞台になるこのレースに、管理するワイドファラオ(牡5歳)を送り込むのが栗東・角居勝彦調教師だ。
1964年3月生まれで現在56歳の彼が厩舎を開業したのは2001年。それ以前の調教助手をしていた時期にも「不満のない生活を送れていた」(本人)が、同世代の従兄弟が若くして亡くなった事で人生観が変わった。
「人間なんて明日にはどうなるか分からないと強く感じました。なら、今やれる事を精一杯やろうと考え、調教師を目指して猛勉強しました」
結果、見事に調教師試験に合格すると、技術調教師時代に森秀行厩舎の遠征についてイギリスへ行ったり、美浦の藤沢和雄厩舎に研修に行ったりと、精力的に準備を整えた。そして、開業後は飛ぶ鳥を落とす勢いで瞬く間に世界のホースマンに知られる伯楽に上り詰めた。
偉業を次々成し遂げ、一気に名調教師へ
開業4年目の04年にはデルタブルースで早くも菊花賞(GI)を制覇。翌05年にはシーザリオでオークス(GI)を勝つと、その直後にアメリカへ遠征。調教師として自らの管理馬で海外に挑戦するのは角居調教師自身これが初めてだったが、ここでいきなり偉業を達成する。アメリカンオークス(GI)を圧勝し、日本馬として史上初めてアメリカのGIレースで頂点に立ってみせたのだ。
当時は開業して5年目。年齢も41歳と調教師としては若かったが、後に世界中を席巻し、日本国内でも数々の記録を打ち立てる名調教師となる兆しを見せていたのである。
その後の角居調教師の記録を全て記していたら枚挙にいとまがないので割愛するが、ほんの一例だけでも先出のデルタブルースによる日本馬初のメルボルンC制覇(オーストラリア、GI、06年)やウオッカによる牝馬では64年ぶりとなる日本ダービー勝利(GI、07年)、ヴィクトワールピサでのこれまた日本馬としては唯一のドバイワールドC優勝(ドバイ、GI、11年)などなど。また、ウオッカが08、09年に2年連続年度代表馬に選出された他、角居調教師自身も11~13年に3年連続でJRA賞最多勝利調教師の座を射止め、5度も同賞の最高獲得賞金調教師となっている。