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新しい地図・香取慎吾×パラアーチェリー 福知山線脱線事故に巻き込まれた岡崎愛子が目指した「東京」
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/12/24 06:00
半日以上、床で絵を描き続けるという香取(左)のエピソードを聞いた岡崎は「アーチェリーに向いてますよ」と笑った
「この15年間は一言では表せない」
香取 体に障がいを抱えたときに、競技を始めない人もきっといっぱいいると思います。事故の前はスポーツが好きだったけどもう止めよう、と。岡崎さんが動き始められたのはどうしてですか。
岡崎 この15年間は一言では表せないぐらい、本当に大変でした。でもどうにかして生きて、暮らしていかないといけない。目の前のことを一つ一つやっていくことが大変だったので、最初は「スポーツ」なんて視界にすら入ってこなかったんです。でも、大学を卒業して、就職して働いてみると余裕も出てきた。そしたらやっぱり体を動かしたかったし、スポーツが好きだったから何かやりたかった。あと、母が結構プレッシャーをかけてきたんですよ。東京パラ出て、と。開会式の入場行進って付き添いの人も出れるから、それに出たいって(笑)。
香取 お母さん、自分のことじゃないですか(笑)。
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岡崎 私、もともと運動神経は良い方だったんです。だから「愛子だったらいけるかもしれない、やってみたら」と。言われているうちに私自身も出たい、開会式で歩いてみたい、と思うようになって。だから、東京パラは大きかったですね。
香取 東京パラリンピックは、目指す場所を与えてくれるものでもあったんですね。生まれつき車椅子ユーザーで「いつかパラリンピックに」って思ってた人もいるけど、ある日生活が一変して怒涛のような毎日を過ごす中で突然“東京パラ”が飛び込んできて、そこを目指すようになる人もいる。
岡崎 東京じゃなかったら母も目指せとは言わなかったと思います。私がパリ目指したいって言ったら「ええー、誰が付き添いやるのよ」って絶対反対されましたよ(笑)。
香取 「そこに東京があったから」だ。
毎日の気づきや感覚を大事にする
香取 先ほど体のバランスというお話がありましたが、そもそも事故があって、自分の体自体がすごく変わってしまったわけですよね。それを頭で理解できるようになるまでにどれくらい時間がかかりましたか。
岡崎 最初は自分の体がどこまで使えて、何ができて何ができないのか、全然把握できなかったんです。でも事故の3年後くらいから毎週ジムに通って、だんだん体の使い方にも慣れてきました。日によって使える筋肉が違うんですよ。アーチェリーを始めてからも、今日はここに力が入りやすいなとか、全然使えないなというのがある。そういう時はベルトをキツめに締めたり、わりと使えるなと思ったら体をちょっと起こして引いたり、日々工夫しています。
香取 すっごく繊細ですね。
岡崎 だから毎日の気づきや感覚は大事にしていますね。
香取 僕は自分の体のこと、全くわからずに生きてるなあ。腰をちょっと痛めたときに、原因がわからなくて病院に行ったら「昨日何をされてましたか」って聞かれて、考えてみたら15時間ぐらい床で絵を描いてた。それにも気付かないくらい、自分の体のことを気にしてなさすぎる。
岡崎 それぐらい集中してるんですね。アーチェリーに向いてますよ(笑)。
香取 体験したとき、これ好きだなと思いました。的を狙う集中の瞬間はすごいですよね。何でブレてんだよって思えば思うほどブレちゃうけど、タイミングが合う時は「スン」っていう感じで、いけるなっていうのが分かりますよね。それで当たったときの爽快感といったら最高でした。
岡崎 それがアーチェリーの醍醐味です。香取さん、もう気づきましたね(笑)。