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ドラフト前夜は眠れなかった…楽天・黒川史陽がプロになれたワケは“努力し続ける”才能
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2020/10/24 17:01
キャンプで特守を受ける黒川(左)。高校時代から「練習の虫」と呼ばれたその姿勢はプロ入り後も変わらない
甲子園一家、プロの厳しさを知る父
黒川家は野球一家、しかも甲子園一家と言ってもいい。洋行さんは上宮高3年の春、主将として選抜で全国制覇を果たした。長男の大雅は日南学園高で3年春夏の甲子園に出場。次男の史陽は智弁和歌山高で5季連続甲子園出場。三男の怜遠(れおん)は現在、星稜高の2年生だ。
洋行さんは高校卒業後、同志社大に進学し、社会人野球のミキハウスでプレーした。セガサミーではコーチを務め、その時に指導した選手がプロに行き、活躍する姿も、苦労する姿も見てきただけに、プロの厳しさはわかっていた。
「だから正直、史陽がこの実力でプロに行って、大丈夫なのかな?という思いのほうが強かった。だけど、とにかく練習はすごくできる子なので、そこが決め手でしたね。練習しなくて口ばっかりの子やったら、たぶん行かせてないでしょうけど、なんとかなるんじゃないかと思わせてくれた。逆に、あんだけ練習すれば、(プロで)どうなるのかなという期待のほうが、最後は大きかったですね」
黒川は、バットコントロールの柔らかさと長打力を備え、高2春の選抜では勝負強さを発揮し準優勝に貢献した。ただ、高3の夏は苦しみ、最後の甲子園は13打数1安打に終わっていた。目標としていたU18ワールドカップの日本代表にも選出されなかった。
「こらまずいな、と思いました」と洋行さんは振り返る。セガサミーでは、ドラフトにかかると言われながら指名されなかった選手も大勢見てきた。
「まさかあそこで呼ばれるとは」
ドラフト会議の1カ月ほど前から、洋行さんは眠れなくなり、1週間前になるとヘルペスができたり、声が出にくくなったりしたという。
黒川本人も、ドラフト前夜は眠れなかった。ドラフト当日は、会議が始まるギリギリまで練習してから制服に着替え、学校の事務所で待機した。
黒川の名前は思いのほか早く呼ばれた。東北楽天ゴールデンイーグルスの2位指名だった。
まだまだ呼ばれないだろうと思っていた黒川は、中継を見ずに、同じく指名を待つ東妻純平(DeNA)と話していた。突然、中谷仁監督に「指名されたぞ」と呼ばれ、慌ただしく記者会見場に向かった黒川は「びっくりしました」と繰り返した。
洋行さんは、「まさかあそこで呼ばれるとは思っていなかったんで、固まっちゃいました。4位か5位くらいかなと思っていたので。しかも(内野手の)小深田(大翔)君が1位で行ったので、2位は内野はないなと思っていましたし」と安堵と興奮が入り混じった様子だった。
就任したばかりだった楽天の三木肇監督は、洋行さんの上宮高時代の2学年下の後輩。「いじめとかんでよかったー」と笑った。