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羽生善治九段50歳に 大山康晴、加藤一二三…天才棋士たちの恐るべき“最年長記録”、羽生は超えられるか 

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相崎修司

相崎修司Shuji Sagasaki

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photograph byBungeishunju

posted2020/09/27 11:01

羽生善治九段50歳に 大山康晴、加藤一二三…天才棋士たちの恐るべき“最年長記録”、羽生は超えられるか<Number Web> photograph by Bungeishunju

9月27日に50歳の誕生日を迎えた羽生善治九段

 1970年代というのはオイルショックにより高度経済成長期が終わりをつげ、またプロ野球でもミスタープロ野球こと長嶋茂雄の引退と共に読売巨人軍のV9に終止符が打たれた転換の時代。将棋界でも大山から中原への世代交代があったのだ。

 新たな時代を迎えた将棋界は中原名人を頂点として、打倒中原を目指す米長邦雄が新勢力として躍進。前述のように復権を狙う大山も各棋戦で存在感を示していた。対して二上と加藤は先輩と後輩の双方に押されていた感もあった。だがこの両者は40歳、50歳という円熟の年代になってから、改めて花を咲かせる。

 1980年度の第37期棋聖戦で二上は米長邦雄棋聖に挑戦し、3勝1敗で奪取。49歳でのタイトル奪取は前述の大山に次ぐ、当時としては史上2番目の高齢記録だった。そして二上のタイトル奪取はこれが14年ぶりだった。一度無冠になったタイトル経験者がタイトルを奪回した例はいくらでもあるが、14年間の雌伏を経ての再戴冠は、史上最長の記録である。

「大穴が出たようなものです」とは棋聖奪取を果たした二上のコメントだ。続く第38期、39期では中原と加藤を破り棋聖3連覇を果たす。当時の流行語に引っ掛けて「窓際族の逆襲」と表現したマスコミもあった。

53歳でA級復帰した「神武以来の大天才」

 18歳でA級八段となり「神武以来の大天才」と呼ばれた加藤一二三が悲願の名人奪取を果たしたのは1982年、42歳の時。だがその翌年に中学生棋士の後輩である谷川浩司に名人を明け渡してしまう。1985年の第26期王位戦を最後に、タイトル戦番勝負への出場もなくなった。

 順位戦でも49歳の時にA級から降級の憂き目を見る。加藤のA級降級はこの時が初めてではないが、以前は全て20代の時で、翌年にすぐ復帰していた。だが今度の陥落は年齢のこともあり、復帰は難しいのではと見られていただろう。

 しかし、「神武以来の大天才」は常人の想像の枠外に居た。1992年度のB級1組で9勝3敗の好成績を挙げ、53歳にてA級復帰。ちなみに同時に上がったのはこの年にA級初昇級を果たした羽生善治である。

 さらに、1993年度のNHK杯戦では54歳にして自身7度目のNHK杯優勝を果たす。準々決勝で当時四冠の羽生を、決勝では竜王の佐藤康光を降しての栄冠だった。この優勝で加藤は1950年代、60年代、70年代、80年代、90年代のそれぞれで棋戦優勝を実現したことになった。

 5つの“年代”の優勝達成は他に例がない。仮に羽生が今期の竜王戦で豊島将之竜王を破れば加藤に次ぐ2例目(80年代、90年代、00年代、10年代、20年代)となるが――。

50歳で名人に在位した米長邦雄

 加藤が快挙を達成した1993年度は、中原―米長時代に一区切りがついた年でもあった。この年の第51期名人戦で米長は中原名人に挑戦。米長の名人挑戦はこれが7度目のこととなる。それまでにも各タイトル戦で中原との角逐を続けていた米長だったが、名人にだけは手が届かなかった。

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