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KO負けだけど最高評価 元ボクサー・三浦隆司が振り返る「2週間寝れなかった」バルガス戦
posted2020/09/23 11:00
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Getty Images
これまで多くの激闘を見せてきた八重樫だが、2019年に本誌でも「KOされた日」について三浦隆司とともに語っていた。その記事を特別に公開します。こちらは《三浦隆司》編です。【初出:Number990号(2019年11月14日号) <ボクシング総力取材>KO主義。「倒された。だからこそ」《三浦隆司》/肩書などはすべて当時】
《八重樫東》編(https://number.bunshun.jp/articles/-/845103)から続く
「倒された。だからこそ」
倒す者がいれば、倒される者もいる。KOは決して勝者だけのものではない。かつて壮絶なKO負けを喫したふたりは、そこでなにを味わい、なにを見たのか。
「これ以上やったら本気で死ぬ」
'11年1月、日本スーパーフェザー級チャンピオンだった三浦隆司は、世界初挑戦のチャンスを得た。挑む相手は、WBA同級王者の内山高志だ。スパーの経験があり、強さは身に染みて知っていたが、自慢の左を当てればなんとかなると考えていた。
内山の武器は、こちらも破壊力抜群の右ストレート。加えて、頻繁に繰り出す左のジャブも硬く、厄介だった。
世界戦のリングの上で打ち込まれたジャブを、三浦は不思議な感覚で受け止める。
「意外に軽いな。これなら、いける」
多少の被弾は覚悟してガードを緩め、左を叩き込む機会を窺う。第3ラウンドには狙いどおりに王者の顔面を左拳で撃ち抜いた。内山はダウンし、立ち上がったが、カモシカのような両脚はまだ揺れていた。
ところが、好機の到来に気持ちばかりが先走り、三浦は派手にすっ転んだ。とどめを刺しにいく迫力に欠け、気づけば両まぶたが腫れあがっていた。視界はほとんど失われた。ジャブをもらい続けた代償だった。
試合前からあった頭痛も、殴られるたび激しさを増し、我慢の限界に達していた。
第8ラウンドを終えて戻った青コーナーで、三浦は、ギブアップを申し出た。
「これ以上やったら本気で死ぬ」
命を優先して敗戦を申告した挑戦者に、世界に挑むチャンスは二度とないだろう。引退は現実味のある選択肢だった。
功を奏した帝拳ジムへの移籍
だが、1日にして視線は180度転換する。体調が万全でなかったことが一片の悔いとしてあった。その後、横浜光ジムから帝拳ジムへの移籍を決め、幾人もの世界王者を擁する新たな環境に身を投じた。
この決断が功を奏した。
「帝拳の指導は自分の中にすっと入ってきた。自然に伸びていきました」
帝拳ジムのトレーナーだった葛西裕一は、与えた指示を自ら咀嚼し体現する三浦に驚いた。ゴツゴツした見かけによらず筋肉は柔らかく、目もいい。三浦は我が強く、それは指導の浸透の妨げにもなりえたが、葛西は軽快なコミュニケーションで心をほぐし、一級品の技術を仕込んでいった。
帝拳での5戦目で三浦はWBCのベルトを腰に巻く。その試合以降5戦のうち4戦がKO勝ち。ボンバーレフトと名付けられた三浦の評判は、やがて海を越えた。