才色健美な挑戦者たちBACK NUMBER
Bリーグでの活躍を支える
富樫勇樹のポジティブ力。
posted2020/09/09 11:00
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph by
Kiichi Matsumoto
「子供の頃から、今でもずっと、死ぬのが怖いんです。死にたくないんじゃなくて、死ぬのが怖い。どうやって死ぬのか、どこに行くのか、正解なんてないんだけど、死があまりにも怖いから、他のことは何も怖くない」
こう話すのは、昨シーズン、Bリーグ日本出身選手初の1億円プレーヤーとなった富樫勇樹だ。
バスケットボール選手としてはハンデとも言える、身長167cmの小柄な身体ですら富樫はポジティブに捉えているようだ。スピードとテクニックで体格に勝る相手を翻弄し、得点を重ねる姿はおなじみ。富樫がボールを持つと会場は「富樫コール」で沸き立つ。ハンデや逆境をものともしない、千葉ジェッツの司令塔のポジティブ思考を紐解く。
こう話すのは、昨シーズン、Bリーグ日本出身選手初の1億円プレーヤーとなった富樫勇樹だ。
バスケットボール選手としてはハンデとも言える、身長167cmの小柄な身体ですら富樫はポジティブに捉えているようだ。スピードとテクニックで体格に勝る相手を翻弄し、得点を重ねる姿はおなじみ。富樫がボールを持つと会場は「富樫コール」で沸き立つ。ハンデや逆境をものともしない、千葉ジェッツの司令塔のポジティブ思考を紐解く。
高校の3年間、僕はアメリカに留学していたのですが、チームは“いいシュートを打てないなら、もう1度ボールを回す”という堅いスタイル。
シュートの確率が悪くなるのをコーチは嫌っていたし、彼らからすると僕の身長はリスクが大きかったんでしょう。日本では自分のしたいように、自由にシュートを打っていたのが、1試合で1度も打たないこともあったりして。自分のやりたいプレーをさせてもらえなかったし、楽しかったかと言われると、そうでもなかったですね。
だけど最初から、英語も通じない、バスケットも通用しない、全く違う世界だと思ってアメリカに飛び込んだんです。若かったから言葉が通じない怖さも分かっていなかったし、最初からかなり自分を下のランクだと見ていたので、試合に出れなくても心が折れることはありませんでした。
それよりも2年の時には全米ランキング2位になったり、徐々に試合に出れるようになったり、成長しているという実感があったので、あの3年間は、僕のバスケットボール人生を変えてくれたすごく貴重な時間だと思っています。