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<オリンピック4位という人生(15)>
ロンドン五輪 柔道・福見友子 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byAFLO

posted2020/08/16 11:30

<オリンピック4位という人生(15)>ロンドン五輪 柔道・福見友子<Number Web> photograph by AFLO

女子48kg級準決勝で敗れ、しばし宙を見つめる福見友子(上)。

田村亮子に釘づけになった少女が。

 勝負とは過去や未来によって決するのでなく、今、眼前の一瞬によって決まる。

 振り返れば、福見自身がそうやって柔道人生を切り開いてきた。

 茨城・土浦の活発な少女は7歳の時、テレビに映る小さな柔道家に釘づけになった。自分より大きな相手を投げ飛ばし、キラキラしたメダルを首にかけて笑っている。

 バルセロナ五輪の田村亮子だった。

 それから福見は道場に通い始めた。

 憧れの人と初めて戦ったのは16歳の春だった。当時、公式戦65連勝中、無敵の王者だった田村を全日本の舞台で倒した。

《目の前の相手を倒したいということだけ。無心です。その結果、練習してきた技で勝つことができたんです》

“あのヤワラちゃんを倒した高校生”として突然、世に知られるようになった福見は、しかし、それから同じ年代の無名選手にすら勝てなくなった。

 逆にロンドンの選考レースでは、ライバルの浅見八瑠奈に連敗してほぼ絶望という状況になったが、残り半年となった土壇場で浅見を倒し、代表の座を勝ち取った。

 田村に勝ったから強いわけではなく、無名選手に敗れたから弱いわけでもない。目の前の一瞬に没頭し、制する。福見はそうやってあの舞台に辿り着いたはずだった。

 それなのに、「いつも通りに、普段通りに」と考えた時点で、ロンドンの自分は負けていたのかもしれない……。答えかどうかはわからなかったが、福見は紙とペンによって、そう自分を納得させた。

あの日の映像だけは遠ざけていて……。

 だが、ひとつだけどうしてもできないことがあった。客観的に、あの日の自分の外形や有り様を直視することだ。

福見友子
谷亮子

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