スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
ラグビーの「獣性」が凝縮された、
イングランドとジョージアの奇祭。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by Keijiro Kai
posted2020/07/29 20:00
イングランド中部のアッシュボーンで、17世紀より続く「Shrovetide Football」の1コマ。写真集『骨の髄』より。
秋田のカマクラ祭りに漂う学生運動の気配。
そして書名にもなっている「骨の髄」、秋田県美郷町で行われている六郷のカマクラ祭りの写真も凄まじい。
参加者はヘルメットを被り、竹槍(先端は尖ってはいない)を持っている。なぜ始まったのか、解説がある。
「『竹うち』は江戸時代の初期の頃から始まったと言われている。酒造の若い衆が、余った竹の先端に『天筆』と呼ばれる願い事を書いた紙をつけ松鳰(まつにお)の火を叩いて騒いでいたところ、それぞれの竹がぶつかり合いそれがエスカレートしていったのが『竹うち』の始まりだという」
竹を打ち合う男たちの一連の写真は、1960年代に頻発した学生運動の武力衝突を連想させる。カマクラ祭りと、学生運動は線で結ばれる。
祭りは非日常であり、学生運動もまた、非日常だった。そこには暴力がまとわりつく。
祭りは暴力性を帯びるから、甲斐さんが捉えた男たちは、生命の危険を察知し、生き残ろうと必死に見える。秋田の男性たちの表情は、50年ほど前の学生たちの表情に、驚くほど似ている。
中に、アメフトのヘルメットをかぶっている男性の写真がある。後ろには炎。表情は見えない。だが、きっと洒落っ気のある「かぶき者」に違いない。
ボールの代わりは敵の首だった。
後半には、2018年に『百年泥』で芥川賞を獲得した石井遊佳氏と甲斐さんの対談が収められているが、これが興味深い。
石井氏が、ジョージアの「Lelo」とイングランドの「Shrovetide Football」との近似性を指摘しているが、これはフットボールの文化史にとって興味深い命題だ。
実際、イングランドとジョージアの写真を見ると、この祭りの起源は一緒なのではないか? とも思えてくる。
甲斐さんは有力な説を紹介しているが、私は世界各地で同じような祭りが同時多発的に始まったのではないかと想像している。人間の本能が祭りと遊びを求めているのではないだろうか。
また、かつてはボール代わりに使われていたのが敵の首だったというのは、祭りやスポーツの原初の形態が野蛮なものだったことを示している。